長柄のついた綾傘を人が手に捧げもって巡行する古態をもつ鉾である。応仁の乱以前からあった古い鉾の一つで、他の山鉾の華麗さや趣向の巧妙さはないが特殊な傘鉾なので洛中洛外図などにも描かれている。音楽と舞踊、そして棒振の芸が付随しているところに大きな特徴がある。それは今宮神社の「やすらい花」と同じく疫病鎮圧の呪法に基づくものとして成立し、平安朝以来の風流踊の伝統を正しく今につたえるものとされている。この綾傘鉾も江戸末期に一時、小型の曳山として巡行に参加したが、元治の兵火(1864)にあい廃絶してのち巡行を休んでいた。しかし、古くからこの町とかかわりの深い壬生六斎念仏講中の協力で昭和48年から棒振が復活、昭和54年に綾傘の修理もなって百年ぶりに巡行がみられることになった。
![]() |
今宮神社 | 平安期以前から疫病鎮めに疫神を祀った社があったといわれる。994年(正暦5)都の悪疫退散を祈り、御輿を造営し紫野御霊会を営んだのが今宮神社の起りである。現在の社殿は1902年(明治35)... | 詳細を見る |
---|---|---|---|
六斎念仏 | 鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能で、平安中期、空也上人が一般庶民に信仰をひろめるため始めたと伝えられる。もとは六斎日(月に6日ある忌み日、精進潔斎日)に行われたので... | 詳細を見る | |
洛中洛外図 | 京都市内と郊外の、風景や住民の生活を克明に描いたもので、室町末期から江戸初期にかけて盛んに描かれた。絵巻形式や画帖形式のものもあったが、大多数は6曲1双の屏風形式をとる。現存する... | 詳細を見る |
![]() |
空也堂 | 空也を本尊とするため空也堂と呼ばれるが、正しくは紫雲山光勝寺極楽院(しうんざんこうしょうじごくらくいん)と号する、天台宗の寺。天慶2年(939)、空也上人の開創といわれ、当初... | 詳細を見る |
---|---|---|---|
![]() |
此付近南蛮寺跡 | 織田信長の時代に、ヤソ会によって建てられた南蛮寺は、この北側、姥柳町の地にあったと推定される。戦国末期、京都でのキリスト教布教は、永禄2年(1559)から本格化し、永禄4年に... | 詳細を見る |
![]() |
六角堂 | 紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)と号する寺で、本堂が六角宝形造(ほうぎょうづくり)であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。 開基は聖徳太子で、四天... |
詳細を見る |
![]() |
大政所御旅所 | 祇園会(ぎおんえ)の神輿(みこし)三基のうち、素盞嗚尊(すさのおのみこと)(牛頭(ごず)天王)と八王子との二基を大政所とよび、妃神奇稲田(くしなだ)姫の一基を少将井とよんだ。 ... |
詳細を見る |
![]() |
長講堂 | もと後白河法皇(ごしらかわほうおう)が仙洞(せんとう)御所に営まれた持仏堂で、正式名を「法華長講弥陀三昧堂(ほっけちょうこうみださんまいどう)」といい、法華経を永遠に讃し、阿弥陀仏... | 詳細を見る |
![]() |
道元禅師示寂の地 | この地は、曹洞宗の開祖道元禅師が生涯を閉じたところである。 道元禅師は、正治2年(1200)に京都で生まれ、比叡山で出家の後、建仁寺の栄西の門に入って禅を学び、貞応2年(12... |
詳細を見る |
---|---|---|---|
平等寺(因幡薬師) | この寺の起りは、「因幡堂縁起(いなばどうえんぎ)」(現東京国立博物館蔵)にくわしい。すなわち、長徳3年(997)因幡国司橘行平が、任終って帰洛の途中、夢告によって因幡賀留津(いなば... | 詳細を見る | |
![]() |
北来地蔵菩薩 | ここには、松原通堀川西入の北門前町及び来迎堂町の地蔵菩薩像二体が祀られている。 北門前町は、松原通の南の町内で、町名は日蓮宗の大本山本圀寺の北門前に位置することに由来する。... |
詳細を見る |
三善清行邸跡 | この付近に、平安前期の学者・政治家三善清行(847~918)の屋敷があったと伝えられる。清行は下級貴族の子に生まれた。学問にはげんで身をたてようと決心し、大学に入って長年刻苦... | 詳細を見る | |
![]() |
神明神社 | 当地は平安時代末期,近衛(このえ)天皇(在位一一四一~一一五五)がしばしば皇居としたと伝わる藤原忠通(ただみち)(近衛天皇妃の養父)の屋敷跡で,「四条(しじょう)内裏(だいり)」または... | 詳細を見る |
![]() |
五条天神社 | 祭神として、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る。 社伝によれば、延暦13年(794)、桓武天皇の平安遷... | 詳細を見る |
|
俊成社 | この社は平安時代(七九四年~一一八五年)末期から鎌倉時代(一一八五年~一三三三年)初期にかけ,当代一の歌人といわれた藤原俊成卿を祀る。
元久元年(一二〇四年)一一月三〇日,九一... |
詳細を見る |
![]() |
菅大臣神社 | 菅原道真公を祭神とする神社。この地はもと道真公の邸や、菅家廊下といわれた学問所の跡で、誕生の地と伝えられ、天満宮誕浴の井が保存されている。また「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 ... | 詳細を見る |
|
繁昌社 | 繁昌社の祭神は宗像三女神、田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命である。三女神は、海上交通の神で、商品流通の守護から「市の神」として信仰されている。江戸時代には、功徳院と号し、真言宗の... | 詳細を見る |
![]() |
五條天神社 | 弘法大師(空海)の開基といわれる古社。少彦名命、天照大神、大己貴命、などを祭る。古くから農耕、医薬の神として信仰された。「義経記」は源義経が弁慶と出会った場所としている。例祭の5... | 詳細を見る |
![]() |
平等寺 | 真言宗。因幡堂縁起(重文)によれば、997年(長徳3)橘行平が任を終え帰国の途中、夢告により海中から薬師如来を引き上げ、祭ったのが当寺の起こりという。歴代の天皇も厄年には勅使を派遣... | 詳細を見る |
![]() |
光圓寺 | 京都市の指定文化財の紙本着色「京洛月次風俗図扇面流屏風」(狩野元信印)を所蔵している(現在は京都国立博物館に寄託)。親鸞聖人の京洛に於ける寓居地跡。親鸞入滅の地とも言われている。 | 詳細を見る |
![]() |
住吉神社 | 祭神は天照皇大神、田霧姫神、底筒男神、中筒男神、表筒男神、神功皇后、武内宿禰命。末社の熊丸稲荷神社の祭神は速秋津比売大神。人丸神社の祭神は柿本人麿朝臣。建立は保元2年、後白河天皇... | 詳細を見る |
![]() |
北菅大臣神社 | 御祭神は道真公の父・是善卿。道真公が太宰府に左遷される時にここで、「東風吹かばにほひ起せよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだとされる。当地は菅原家の邸宅紅梅殿のあったとこ... | 詳細を見る |
長香寺 | 浄土宗。山号常照山。本尊阿弥陀如来は恵心僧都の作と伝えられる。慶長13年(1608)徳川家康の側室おこちゃの本願により、信誉称阿を開山として創建。寺名はおこちゃの法号長香院に因んでい... | 詳細を見る | |
![]() |
八坂神社大政所御旅所 | 八坂神社のかつての御旅所で神輿の渡御があった。現在は小祠が建っているのみ。天延2年(974)に東洞院高辻に住していた秦助正の夢に神人が現れ、「汝の家を影向の地とせん速やかに朝廷に奏... | 詳細を見る |
![]() |
例祭<菅大臣神社> | 5月第2日曜、菅大臣神社。前日は宵宮で、献茶式、観音供養が行なわれ、当日例祭、茂山千五郎社中による狂言が行なわれる。市バス/西洞院仏光寺、徒歩3分。問合先:菅大臣神社075-351-6389。 | 詳細を見る |
![]() |
油小路通 | 京都市街地中央部の南北路。北は竹殿南通から南は城南宮までで、京都市内の南北路で最長。平安京の油小路に当たる。応仁の乱で四条通から南は荒廃したが、豊臣秀吉の京都改造で再開。JR線か... | 詳細を見る |
![]() |
綾小路通 | 京都市街地中央部の東西路。東は寺町通から西は佐井通まで。平安京の綾小路に当たる。文明年間(1469-87)から荒廃していたが、天正年間(1573-92)に再開したという。明治期は東は寺町通で... | 詳細を見る |
![]() |
小川通 | 京都市街地中央部の南北路。北は上立売通から南は錦小路通までで「こかわ」「こがわ」ともいう。この通りの上立売通から一条通まで堀川に流入する小川(こかわ)が流れていたのが名称の由来... | 詳細を見る |
![]() |
烏丸通 | 京都市街地中央部の南北幹線路。北は今宮通から南は十条通南まで。平安京の烏丸小路に当たる。1877年(明治10)の東海道本線開通で駅正面の大通りとして拡幅。市電走行、廃止を経たが、1981... | 詳細を見る |
![]() |
高辻通 | 京都市街地中央部の東西路。東は木屋町通から西は右京区梅津で府道太秦上桂線につながる。平安京の高辻小路に当たる。昭和になり大宮通から西へ都市計画道路として開かれた。繊維問屋の多い... | 詳細を見る |
![]() |
蛸薬師通 | 京都市街地中央部の東西路。東は木屋町通から西は右京区西院の佐井通西近辺までで、坊城通と御前通間で中断。平安京の四条坊門小路に当たる。新京極の蛸薬師(妙心寺)が通り名の由来という... | 詳細を見る |
錦小路通 | 京都市街地中央部の東西路。東は新京極通から西は後院通まで。平安京の錦小路に当たる。通り名は糞の小路が勅命で錦の小路に改められたとか。糞の小路は具足小路のなまり。また近辺に大和錦... | 詳細を見る | |
![]() |
仏光寺通 | 京都市街地中央部の東西路。東の木屋町通から西の右京区西院、佐井通西まで。平安京の五条坊門小路に当たる。通りの南にある佛光寺からこの名がつき、旧称は五条坊門通という。文明年間(146... | 詳細を見る |
![]() |
松原通 | 京都市街地中央部の東西路。東は清水寺門前から西は右京区西院の佐井通まで。平安京の五条大路に当たる。天正年間(1573-92)にこの通りの鴨川に架かる五条橋が六条坊門通に移され、やがて六... | 詳細を見る |
![]() |
万寿寺通 | 京都市街地中央部の東西路。東は木屋町通から西は御前通までで、京都市立病院、JR山陰線などで中断。平安京の樋口小路に当たり、旧称は樋口通。通り名は柳馬場西入に禅宗京都五山の一つ、万... | 詳細を見る |
![]() |
六角通 | 京都市街地中央部の東西路。東は新京極通から西は右京区西院の佐井通までだが、工場地区のため後院通と御前通の間で中断。平安京の六角小路に当たり、通りに六角堂(頂法寺)があるためこの... | 詳細を見る |
![]() |
京都市男女共同参画センター | 男女共同参画社会の実現を目指し、男女の自立と広範な社会参画を促進する活動及びその他の活動に供するための施設ホームページ http://wings-kyoto.jpE-mail center@wings-kyoto.jp | 詳細を見る |
![]() |
京都生活工藝館・無名舎 | 京呉服の問屋街「室町」の一画六角町にあり、建物は白生地問屋を商った京商家の典型ともいうべき表屋造り。店舗、住居、土蔵とそれらを結ぶ2つの庭と、通り庭から成っている。数々の生活工芸... | 詳細を見る |
![]() |
ブリキのおもちゃと人形博物館 | 昭和を中心に、懐かしいブリキ玩具・セルロイド人形など、当館所蔵の1万5,000点以上から約3,000点を常設展示。月1割ほど入れ替えています。鉄腕アトム・鉄人28号・ペコちゃんなどの企業キャ... | 詳細を見る |
![]() |
大丸ミュージアム<京都> | 買い物ついでに高質で新鮮な展覧会が気軽に楽しめるミュージアム。H26年10月8日リニューアルオープン | 詳細を見る |
![]() |
南蛮寺跡 | 安土桃山期、キリスト教宣教師が京都に建てた教会。1560年(永禄3)六角通室町西の民家を会堂とし、のち四条烏丸に移り再びここに1576年(天正4)教会を完成させ南蛮文化の中心に。1588年(... | 詳細を見る |
![]() |
本能寺跡 | 織田信長が明智光秀に襲われ自害・焼失した本能寺は現在地の寺町御池ではなく、1582年(天正10)ごろは堀川四条の近くにあり寺域は東西150メートル、南北300メートル。本能寺の変後、豊臣秀... | 詳細を見る |
![]() |
芦刈山 | 謡曲「芦刈」から取材、妻にさられて一人淋しく難波の浦で芦を刈る老翁の姿をあらわす。御神体(人形)の頭には「天文6年6月7条仏師運慶七代孫康運作」の墨書銘がある。御神体の古衣装として... | 詳細を見る |
![]() |
油天神山 | 古くから町内に祀られていた天神を勧請(かんじょう)して作られた山で、油小路綾小路下ル風早(かざはや)町にあるところから「油天神山」とも、また勧請の日がちょうど丑(うし)の日にあ... | 詳細を見る |
![]() |
霰天神山 | 錦小路室町西入にあるので「錦天神山(にしきてんじんやま)」ともいわれる。永正年間(1504-21)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまち消えたが、そのとき一寸二分(約3... | 詳細を見る |
![]() |
岩戸山 | 天の岩戸(あまのいわと)を開いて天照大神(あまてらすおおみかみ)の出現される日本神話から取材している。山とはいえ鉾と同じ車をつけた曳山(ひきやま)である。江戸中期曳山に改造され... | 詳細を見る |
![]() |
占出山 | 「鮎釣山(あゆつりやま)」ともいう。神功皇后が肥前国松浦川(ひぜんのくにまつうらがわ)で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話による。御神体(人形)は金の烏帽子(えぼし)に太刀をは... | 詳細を見る |
![]() |
大政所御旅所 | 祇園会(ぎおんえ)の神輿(みこし)三基のうち、素盞嗚尊(すさのおのみこと)(牛頭(ごず)天王)と八王子との二基を大政所とよび、妃神奇稲田(くしなだ)姫の一基を少将井とよんだ。江... | 詳細を見る |
![]() |
郭巨山 | 「釜掘り(かまほり)山」ともいわれる。中国の史話二十四孝郭巨釜掘りの故事にちなんで造られているのでこう呼ばれる。山に飾る人形(御神体)の郭巨と子供は寛政4年(1792)金勝亭九右衛門... | 詳細を見る |
![]() |
函谷鉾 | 鉾の名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が鶏の声によって函谷関(かんこくかん)を脱出できたという故事にちなんで付けられている。鉾頭(ほこがしら)の月と山型... | 詳細を見る |
![]() |
菊水鉾 | 室町時代の末、町内に茶祖、千利休の師、武野紹鴎(たけのじょうおう)の大黒庵があり、邸内にあった菊水井(きくすいい)にちなんで名付けられた。鉾先は金色の十六辯菊華(べんきくか)を... | 詳細を見る |
![]() |
北観音山 | 「上(のぼ)り観音山」ともいわれ、後の祭の山鉾巡行の先頭にたつ。山の上には楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)を安置する。もと舁山(かきやま)で... | 詳細を見る |
![]() |
鯉山 | 鯉山は中国黄河の難所である龍門の滝を登り切って龍となった鯉が出世開運の神としてまつられたという中国の故事(登龍門)にちなんで作られた山である。御神体の鯉は全長1メートル50センチに... | 詳細を見る |
![]() |
四条傘鉾 | 四条傘鉾は、応仁の乱以前に起源をもち、山鉾の非常に古い形態の一つである傘鉾の姿を江戸時代を経て現在に伝えているものである。この鉾は、頂上に、花瓶(かびん)、赤幣(せきへい)、若... | 詳細を見る |
![]() |
浄妙山 | 平家物語の宇治川の合戦から取材。治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来(いちき)法師がその頭上を飛び越え「悪(あ)しゅう候、... | 詳細を見る |
![]() |
太子山 | 聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が大阪四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良材を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木(... | 詳細を見る |
![]() |
月鉾 | 鉾頭に新月型(みかづき)をつけているのでこの名で呼ばれる。真木のなかほどの「天王座」には月読尊(つきよみのみこと)を祀る。屋根裏の金地著彩(きんじちゃくさい)草花図は天明4年(17... | 詳細を見る |
![]() |
蟷螂山 | 大蟷螂(かまきり)と御所車という珍しい組合せの山である。中国の古典に「蟷螂(とうろう)の斧を以て隆車の隧(わだち)を禦(ふせ)がんと欲す」とある。かまきりが自らの力をも顧みず強... | 詳細を見る |
![]() |
木賊山 | 謡曲「木賊(とくさ)」に取材し、我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋(しなののくにふせや)の里に木賊を刈る翁をあらわしている。御神体(人形)は腰に蓑(みの)をつけ、左手に木賊、... | 詳細を見る |
![]() |
長刀鉾 | 鉾先に大長刀(おおなぎなた)をつけているのでこの名で呼ばれる。長刀は疫病邪悪をはらうといわれ、三条小鍛冶宗近作の大長刀を飾ったことにはじまるが、現在は鉾頭(ほこがしら)は軽い木... | 詳細を見る |
![]() |
鶏鉾 | 中国の史話「諌鼓(れんこ)」より取材、昔、堯(ぎょう)の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諌鼓)も用がなく苔がはえ、鶏が宿ったという故事により、その心をうつしたものという。鉾... | 詳細を見る |
![]() |
伯牙山 | 「琴破山(ことわりやま)」ともいわれる。山の御神体(人形)は中国の晋(しん)時代、琴の名人伯牙(はくが)とその友人鐘子期(しょうしき)との物語に取材、伯牙が鐘子期の死を聞いてそ... | 詳細を見る |
![]() |
白楽天山 | 唐の詩人白楽天が道林禅師(どうりんぜんじ)に仏法の大意を問うところから取材している。道林禅師は緞子地(どんすじ)の紫衣(しえ)を着け、藍色羅紗の帽子(もうす)をかぶり手に珠子と... | 詳細を見る |
![]() |
橋弁慶山 | 謡曲「橋弁慶」より取材、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしている。弁慶は鎧姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の上に足駄(あしだ)で立ち片足を曲げ右... | 詳細を見る |
![]() |
船鉾 | 神功皇后(じんぐうこうごう)をめぐる説話によって鉾(ほこ)全体を船の形にし、舳先(へさき)には金色の鷁首(げきす)、艫(とも)には黒漆塗(くろうるしぬり)螺鈿(らでん)の飛龍文... | 詳細を見る |
![]() |
放下鉾 | 鉾の名は真木のなかほどの「天王座(てんのうざ)」に放下僧の像を祀るのに由来している。鉾頭(ほこがしら)の日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜(すはま)に似ているの... | 詳細を見る |
![]() |
保昌山 | 丹後守平井保昌(たんごかみひらいやすまさ)と和泉式部(いずみしきぶ)の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。御神体(人形)は緋縅(ひお... | 詳細を見る |
![]() |
南観音山 | 「下り観音山」ともいわれ、江戸時代は北観音山と隔年交代で巡行していたが、明治以来毎年出ることになり、後の祭の山鉾巡行の最後をしめくくる曳山である。お祀りしてある楊柳(ようりゅう... | 詳細を見る |
![]() |
孟宗山 | 「笋山(たけのこやま)」ともいう。山に飾る御神体(人形)は中国の史話二十四孝から取材。病身の母を養う呉の国の孟宗が、雪の中で筍(たけのこ)を掘りあてた姿をあらわしている。人形は... | 詳細を見る |
![]() |
山伏山 | この名は山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれる。昔、八坂の法観寺(ほうかんじ)の塔が傾いたとき法力(ほうりき)によってそれをなおしたという浄蔵貴所(じょうぞ... | 詳細を見る |
![]() |
源氏物語の館 | 日本が世界に誇る文化遺産(国宝全図)の「源氏物語絵巻」を京友禅にて忠実復元。徳川黎明会承認。・展示/京友禅国宝源氏物語絵巻、京友禅国宝源氏物語屏風、源氏物語五十四帖和歌集(徳川... | 詳細を見る |
![]() |
京都芸術センター | 京都における芸術の総合的な振興を目指して、多様な芸術活動を支援し、芸術に関する情報を収集・発信するとともに、芸術を通じた市民と芸術家等の交流を図るため、元明倫小学校を改修し、200... | 詳細を見る |
![]() |
株式会社御池 | 様々な竹製品の並ぶ竹の専門店。竹細工や茶道を通じて伝統的な「和」の素晴らしさを体験することができる。体験教室として竹を使って編み込んでいく花籠を製作する。 | 詳細を見る |
![]() |
亀屋良長本店 | 江戸時代1803年創業以来210年の伝統を伝える京菓子の老舗での、和菓子作り体験。四季の生菓子を3種類、職人と一緒に作っていただきます。その後、お干菓子の実演をご覧いただき、出来立ての... | 詳細を見る |
松原京極商店街振興組合 | 松原通は平安京の五条大路にあたる。五条通から松原通に変わったのは、豊臣秀吉が東山大仏殿を造営するにあたり、五条大橋を現在の位置に移したため。商店街の歴史も古く五條天神社の門前町... | 詳細を見る | |
からすま京都ホテル | ・室数242室(和室4室・洋室238室)・宿泊料金(税・サービス料込) シングル 最低13,068円~最高14,256円ツイン 最低20,196円~最高51,084円その他(ダブル)26,136円 (和室)26,1... | 詳細を見る | |
![]() |
ホテル日航プリンセス京都 | ・室数216室(洋室216室)・宿泊料金(税込・サービス料込) シングル 23,760円~26,136円ツイン 41,580円~49,896円ダブル 41,580円~49,896円トリプル ... | 詳細を見る |
コートホテル京都四条 | ・室数108室(洋室108室)・宿泊料金(税込) シングル 8,400円~ツイン 18,900円*宿泊料金は、客室の設備・広さ、人数、シーズン・オフシーズン、平日・休前日などにより若干の相違... | 詳細を見る | |
旅館平新 | ・室数27室(和室27室)・宿泊料金(1泊2食・税込・サービス料込) バス付個人 最低10,500円~最高21,000円*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理、人数、シーズン・オフシーズン、平... | 詳細を見る | |
ヴィアイン京都四条室町 | 鉾町の1つである山伏山町に平成19年春に開業。平成27年7月1日リニューアルオープン。総客室数は239室。シングルルーム(219室)は全室に120~140cm幅のセミダブルベッド。全室から高速イ... | 詳細を見る | |
本家重兵衛 | ◎料理種別-寿司 ●おすすめ ・おまかせ握り 3,000円より ・お造盛合せ 2,000円より ・甘鯛塩焼 1,800円 ・生麩田楽 600円 ・鯖寿し(一人前)1,800円 ・会席コース... | 詳細を見る | |
矢倉寿し 志満家 | ◎料理種別-寿司 ●おすすめコース ・ちらしずし 1,620円 ・鰻丼 2,700円*税込み◎営業時間 AM11:00~PM7:00◎休日 不定休創業宝暦年間情緒豊かな芝居茶屋のおもかげを残す老... | 詳細を見る |