丸太町通

内容概要

京都市街地中央部の東西幹線路。東は鹿ヶ谷通から西は右京区嵯峨釈迦堂大門町まで。平安京の春日小路に当たる。通り沿いの西堀川に材木商が多く、この名称がついたという。幕末以後、鴨川から東の市街化が進み、1883年(明治16)に丸太町橋を架橋、東方の通りも整備された。市電は1976年(昭和51)廃止。

【正式名称】
丸太町通(まるたまちどおり)
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観光ルート情報

京の通り名唄<河原町・丸太町通~御池通> 京都の人間なら誰でも知っている通り名唄。次は何通りだったかなと口ずさむ人は多いはず。今回は河原町通を南下。唄の「まる(丸太町) たけ(竹屋町) えびす(夷川) に(二条) おし(...
京の通り名唄<烏丸通・丸太町通~御池通> 京都の人間なら誰でも知っている通り名唄。次は何通りだったかなと口ずさむ人は多いはず。今回は烏丸通を南下。唄の「まる(丸太町) たけ(竹屋町) えびす(夷川) に(二条) おし(押...
京の通り名唄<堀川通・丸太町通~御池通> 京都の人間なら誰でも知っている通り名唄。次は何通りだったかなと口ずさむ人は多いはず。今回は堀川通を南下。唄の「まる(丸太町) たけ(竹屋町) えびす(夷川) に(二条) おし(押...
京の通り名唄<千本通・丸太町通~御池通> 京都の人間なら誰でも知っている通り名唄。次は何通りだったかなと口ずさむ人は多いはず。今回は千本通を南下。唄の「まる(丸太町) たけ(竹屋町) えびす(夷川) に(二条) おし(押...
梶井基次郎ゆかりの地をたどる 京都大学-熊野神社-丸太町通-寺町通-裏寺町通-四条通学生の街京都。その学生を支えてきた古本屋の立ち並ぶコース。梶井基次郎の小説『檸檬』は、そんな家並みの中の果物屋で買い求めた...

関連情報

平安京 794年(延暦13)、桓武天皇により長岡京から平安京への遷都が発せられ、新京を東西約4.5キロ、南北約5.2キロのやや南北に長い長方形に区画し、その中央北部に大内裏、その南面中央の朱雀門か...

周辺情報

法雲寺  清水山洗心院と号し、浄土宗に属している。  この地は、関白太政大臣藤原兼家が、その邸宅二條第を正暦元年(990)寺に改めて創立した法興院の旧地である。その後、しばしば火災にあ...
本因坊発祥の地 この寺町通の名は、天正十七年(一五八九)頃、豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。
寂光寺もその一つで、別名を久遠寺ともいい、通りをはさんだ西側の町名「...
山紫水明處(国定史跡)  頼山陽(らいさんよう)が晩年住んでいた水西荘の書斎で、入母屋(いりもや)造・わら葺・平屋建・内部は四畳半の書室と二畳の待室と水屋がある。閑素なものであるが、四方を開放して防暑...
革堂  霊ゆう山行願寺(れいゆうざんぎょうがんじ)と号する天台宗の寺院で、西国三十三ケ所観音霊場の第十九番の札所である。

 寛弘元年(1004)行円(ぎょうえん)上人によって、一条小...
下御霊神社  社伝によれば、大同2年(809)不運のうちに亡くなった伊予(いよ)親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子(ふじわらのよしこ)の霊をなだめるために、承和6年(839)に創建さ...
大福寺 天台宗の寺で瑠璃光山利生院大福寺という。推古天皇の時代(五九三年~六二八年)に大和国(現在の奈良県)宮田郷に建立されたが,平安時代の初めに勅旨により京都に移され,七堂伽藍を有し...
吉田屋跡 このあたりは幕末維新の史跡ともいえる料亭 吉田屋があった所である。
江戸時代から明治時代初期にかけて、花街として知られた「三本木」の中にあって、幕末には桂小五郎(後の木戸(きど)孝...
護浄院  常施無畏(じょうせむい)寺と号し、天台宗の寺で通称清荒神という。  本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅に...
舎密局跡  「舎密」とはオランダ語シェミーの訳語で化学のこと。東京遷都により沈滞した京都の産業を振興する目的で、京都府が設立した理化学研究所である。明治3年(1870)明石博高の建議によ...
木戸孝允邸宅跡  木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。天保4年(1833)生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改める。吉田松陰の門下生で、西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、討幕運動...
間部詮勝寓居跡  この駐車場には、昭和42年まで、顕本(けんぽん)法華宗の本山(妙満(みょうまん)寺)があった。(現在は岩倉幡枝に移転)この寺に、安政5年(1858)幕府の老中、越前鯖江(さば...
行願寺 正しくは行願寺。天台宗。西国三十三カ所第19番札所。俗人のころ鹿を射止めた行円が、仏心を起こし、1004年(寛弘1)寺を建立、千手観音像を刻み、安置した。皮の衣を着たので、皮聖と呼ばれ...
護浄院 本尊は火の神、竈神として祀られる三宝荒神尊で、「火の用心」「災難除け」にご利益があるとして人々の信仰を集めています。荒神尊は激しく祟り安井性格を持つ一方、皮膚背の霊験があるとさ...
下御霊神社 御所の鎮守として御霊八所神を祀る。貞観5年(863)神泉苑御霊会を由諸とし、下出雲路に創建、2度移転したが天正18年(1590)豊臣秀吉の寺社整理に伴い現在地へ。本殿は寛政期に仮皇居の内侍...
厳島神社 京都御苑間ノ町口を入った池のそばに建つ。平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。祇園女御も祀る。池と傍らの拾翠亭はもと九条家のもので、この社は同家の鎮守社だった...
白雲神社 京都御苑内に鎮座。旧西園寺家の鎮守社で、祭神は市杵島姫命、妙音弁財天とも称し、音楽の神様としても信仰されている。1224年(元仁1)、西園寺公経が北山殿(現在の金閣寺の地)造営の際に...
仙洞御所 後水尾上皇の御所として1630年(寛永7)に完成した。御殿は1854年(嘉永7)に焼失したのを最後に再建されず、現在は醒花亭と又新亭の2つの茶室と雄大な庭園が往時の面影を残している。問合...
夷川通 京都市街地中央部の東西路。東は左京区岡崎徳成町から西は堀川通まで。平安京の冷泉小路に当たり、旧称は冷泉通だが、現在の冷泉通ではない。烏丸通、寺町通間は家具専門店街として有名で、...
河原町通 京都市街地東部の南北幹線路。北は葵橋西詰から南は十条通まで。豊臣秀吉の京都改造後に開通。通り名は鴨川の河原であったことに由来するという。明治以降に南北へ延びたが、現在の三条通と...
御幸町通 京都市街地中央部の南北路。北は丸太町通から南は五条通まで。豊臣秀吉の都市改造で新設されたといわれ、通り名も秀吉が参内に利用したため名づけられたという。
竹屋町通 京都市街地中央部の東西路。東は土手町通から西は千本通まで。平安京の大炊御門大路に当たる。堀川近辺に竹屋が多く、この名称がついたという。江戸期には東は寺町通、西は堀川通までだが、...
土手町通 京都市街地東部の南北路。北は丸太町通から南は二条通に至り中断して上珠数屋町通から七条通まで。豊臣秀吉の設けた御土居を切り崩して町通としたのでこの通り名になったという。
富小路通 京都市街地中央部の南北路。北は丸太町通から南は五条通まで。豊臣秀吉の京都改造により開かれたとされ、平安京の富小路と万里小路のほぼ中間に当たる。通り名の由来は北に、もと富小路家が...
京都ハリストス正教会・生神女福音聖堂 ギリシャ正教の西日本における布教活動の拠点として1903年(明治36年)に完成した教会堂(市指定文化財)。ロシア・ビザンチン様式、木造十字形平面聖堂で217平方メートル。京都府旧庁舎を手...
新島旧邸 同志社の創立者、新島襄と妻・八重の私邸(1878年竣工)、木造2階建ての和風建築に洋風の手法を取り込んだ造りの建物。1985年、京都市指定有形文化財に指定されている。ホームページ http:...
京都市歴史資料館 京都の歴史に関する調査・研究と歴史資料の収集・保存・活用を目的とする施設。歴史に対する関心に応えるため、歴史講座・古文書講座などを実施。京都市の歴史資料約9万6千点、図書約5万5千...
島津製作所 創業記念資料館 創業者・島津源蔵の住居兼店舗として利用した明治期の建物を、資料館として保存している。理化学器械や標本・マネキン、X線装置をはじめとする医療用機器、産業機器など、これまで島津が手が...
頼山陽書斎山紫水明處  日本外史の著者として知られる頼山陽が文政11年(1828)、自宅の水西荘の庭に建てた草堂風の離れ。小さな床の間のついた四畳半の座敷と二畳の書斎、約一畳の水屋と板の間、そして廊下で構成...
舎密局跡 京都府が1870年(明治3)理化学・工業技術の研究・普及を目的に設けた勧業教育施設。舎密局とはオランダ語の「シエミストリ」(化学)のあて字。ビール・ガラス・石けんなどの製造研究、多く...
横井小楠遭難の跡 肥後藩士横井小楠は、越前藩に招かれ藩政を指導、越前藩主松平慶永が幕府政事総裁職に就くや、そのもとで活躍。明治新政府の参与となったが、1869年(明治2)正月5日、御所参賀の帰途、中京...
木戸孝允旧邸・達磨堂  木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。天保4年(1833)生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改める。西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、討幕運動に指導的役割を果たし...
キンシ正宗 堀野記念館 ・展示 - 江戸時代の酒蔵を公開しています。酒造りの道具や関連資料も展示しています。ホームページ http://www.kinshimasamune.com/開館時間 11:00~17:00 ※現在,町家部分見学休止。...
株式会社 黒田装束店 葵祭の斎王代列や時代祭などの装束を共同で手がける老舗。本物志向の装束類を目の前で見て解説が聞けるなど、王朝装束文化に触れられる。予約すれば仕立てから着付けまで一貫して手がける老...
竹又・中川竹材店 縄文時代には生活の中に入り込んでいた竹だが、京都で竹工芸の歴史が始まったのは平安時代。その後、茶道・花道の道具、室内装飾など京都の文化と関わり、発展してきた。竹又・中川竹材店は...
商店街振興組合 寺町会 大正10年に「寺町会」を発足。当時は路面電車も走り、ハイカラ通り、理想の街として全国から見学者が殺到した。「百年、百五十年はあたりまえ」といった老舗・文化品店が点在している。商店...
京・寺町会商店街振興組合 明治後期に市電寺町二条停留所ができた頃から商店街の姿が形成され始めた。昭和5年には舗道や鈴蘭灯が設置され、一世を風靡する。商店街の一角には古都の西洋建築のシンボルでもある京都市...
夷川会 明治初期よりの伝統ある商店街。大正15年 家具、建具関連の商店が集まり、夷会を結成。全国でもユニークな家具専門店街として注目された。戦後の発展とともに夷川会として、家具だけにとど...
二条会 古くは二条の薬問屋の町として発展し、その関係から問屋筋として広く知られてきた。戦後経済の発展に伴い小売店が誕生し、昭和25年には二条会を結成した。当初は大売出し・招待旅行を中心...
河原町御所表繁栄会  河原町御所表繁栄会は、御所南地区の一員として東に鴨川・大文字、北には御所・北山を望み、近隣には角倉了以施工の高瀬川、一之舟入・島津製作所創業の地が所在しているなど、落ち着いた...
幾松 維新の三傑の一人である桂小五郎(のちの木戸孝允)と三本木の芸妓幾松(のちの松子夫人)の寓居跡です。国土の歴史的景観に寄与しているものとして、二棟が国の登録有形文化財(建造物)に...
KKR京都くに荘 ・室数57室(和室23室・洋室34室) 宴会場、温泉大浴場(加水循環)、温泉露天風呂(加水循環)・宿泊料金(税込)1泊2食付 13,300円(税込)シングル1名、ツイン2名、和室8畳トイレ付3名...
NISHIYAMA RYOKAN ・室数30室(和室27室・洋室1室・和洋室2室)・宿泊料金(1泊2食・税込・サービス料込) バス付個人  最低20,000円~最高38,000円*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理・人数、シーズン...
陶月 ・総室8室・宿泊料金(1泊朝食付・税込)二人部屋(バス・トイレ付) 20,000円(税込)二人部屋(トイレ付)    16,000円(税込)二人部屋(トイレ・バス共同)13,000円(税込)三人部...
石長松菊園 ・室数48室(和室48室)・宿泊料金(1泊2食・税別・サービス料込) バス・トイレ付個人 最低12,000円~最高25,000円*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理・人数、シーズン・オフシーズン...
お宿いしちょう ・室数59室(和室59室)・宿泊料金(1泊2食・税別・サービス料込)バス・トイレ付個人 最低9,000円~最高22,000円*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理・人数、シーズン・オフシーズン、平...
明治150年 京都市の文化財 -新指定の文化財と明治の建物- 「京都市の文化財」の中から近年指定された美術工芸品(絵画、彫刻、工芸品、書籍・典籍、古文書、考古資料、歴史資料)等について紹介します。
また、今年は「明治150年」の節目でもあるこ...