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検索結果 492件が該当しました

三栖神社

三栖神社の創建の詳細は不明であるが,旧下三栖村の産土神として古くからこの地で信仰を集めていた。天武天皇,伊邪那岐大神,応神天皇を祀る。 現在の社殿,拝殿は慶長八年(1603年)九月に旧幕臣角倉了以,加藤清正公の家臣横地助之烝,三栖の郷士藤林時次の三氏等氏子が戮力協心して...

明王院不動寺

青蓮山と号し、真言宗東寺派の寺で、俗に「松原不動」という。 持統天皇5年(691年)に、道観大徳が開基した法相宗の寺であったが、のち弘法大師が自作の「石仏不動明王」を安置してから現宗に改まったといわれている。平安京造営の時に、桓武天皇は王城鎮護のため平安京の東西南北...

明壽院(伏見庚申堂)

当山は真言宗醍醐派の寺院で光圓山(こうえんざん) 明壽院(みょうじゅいん) 庚申堂(こうしんどう)と号し、庚申信仰の寺として地元では伏見庚申堂とも呼ばれている。 六十日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日の夜には、人々は寝ずに一夜を明かす「庚申待ち」を行った。言い伝えによる...

八瀬天満宮社

祭神として菅原道真(すがわらのみちざね)(八四五~九〇三)を祀る。  道真が亡くなった後、師である叡山(えいざん)法性坊阿闍(ほうしょうぼうあじゃ)梨(り)尊(そん)意(い)(八六六~九四〇)の勧請(かんじょう)により建立されたと伝えられ、社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀...

梁川星巖邸跡碑

梁川星巖は寛政元年(1789)、郷土稲津家の長男として、美濃国安八郎曽根村(現岐阜県大垣市)に生まれ、幼少のころから華渓寺の大随和尚について学問に励んだ。12歳の時、両親が相次いで病死し、向学心に燃える星巖は、家督を弟にゆずり、江戸に出て山本北山の塾に入門した。 その...

吉田光由の墓(推定)由緒

 和算の書『塵効記』の著者である吉田光由(1598年~1672年)は,豪商角倉了以の一族で,京都嵯峨に生まれた。  江戸時代成立(1603年)後,戦乱はおさまり,商業,工業が急速に発達する中,その社会的なニーズに答えた『塵効記』は,1627年の刊行後,ソロバンを使った計算法を記載し...

吉田屋跡

このあたりは幕末維新の史跡ともいえる料亭 吉田屋があった所である。 江戸時代から明治時代初期にかけて、花街として知られた「三本木」の中にあって、幕末には桂小五郎(後の木戸(きど)孝(たか)允(よし))をはじめとする討幕派の志士たちが密会した場所として知られている。  元治(...

四之保社跡 威徳水

 この地は、北野天満宮七保社のうち四番目に当る四之保社があったところである。  七保社とは、菅原道真が、大宰府で薨(こう)じた後、随徒の人々が帰京して、右京の地に建てたと言われている七ヶ所の御供所である。  保とは、元来、律令京師制の行政単位で、神社の神人居住区...

瑠璃光院

ここ「八瀬」は「矢背」とも記されるように,壬申(じんしん)の乱(六七二)で背に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(おうじ)(天武(てんむ)天皇)が「八瀬のかま(竈)風呂」で傷を癒したことから,平安貴族や武家の時代を通じて「やすらぎ」の郷として長く愛されてきた。  この地に...

蓮華寺

五智山を号する真言宗御室派の別格本山で、庭に安置された5体の大きな石仏(五智如来像)が有名である。 平安時代の天喜5年(1057)に後冷泉天皇の勅願により藤原康基が創建した。はじめ、広沢池の北西にあったが、応仁の乱の後、鳴滝の音戸山山腹に移され、長く荒廃していたのを...