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検索結果 475件が該当しました

吉田屋跡

このあたりは幕末維新の史跡ともいえる料亭 吉田屋があった所である。 江戸時代から明治時代初期にかけて、花街として知られた「三本木」の中にあって、幕末には桂小五郎(後の木戸(きど)孝(たか)允(よし))をはじめとする討幕派の志士たちが密会した場所として知られている。  元治(...

四之保社跡 威徳水

 この地は、北野天満宮七保社のうち四番目に当る四之保社があったところである。  七保社とは、菅原道真が、大宰府で薨(こう)じた後、随徒の人々が帰京して、右京の地に建てたと言われている七ヶ所の御供所である。  保とは、元来、律令京師制の行政単位で、神社の神人居住区...

瑠璃光院

ここ「八瀬」は「矢背」とも記されるように,壬申(じんしん)の乱(六七二)で背に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(おうじ)(天武(てんむ)天皇)が「八瀬のかま(竈)風呂」で傷を癒したことから,平安貴族や武家の時代を通じて「やすらぎ」の郷として長く愛されてきた。  この地に...

池大雅の墓所

 当寺、浄土宗浄光寺の境内墓地に、江戸時代文人画の大家池大雅の墓がある。墓は碑面に「故東山画隠大雅池君墓」と二行に記し、側面に淡海竺常(たんかいじくじょう)の撰文になる銘文を刻んでいる。  大雅は享保8年(1723)京都の生まれ。姓は池野氏、名は無名、大雅、玉海など...

伊藤仁斎宅(古義堂)跡並びに書斎(史跡)

 江戸初期の漢学者、伊藤仁斎の住宅で、仁斎の学問にちなみ古義堂と称する。現在の建物は明治23年に遺構をもって再建したもので、二階建、土蔵造りの書庫は仁斎在世当時のものである。  仁斎は寛永4年(1627)ここに生まれた。父 了室は篤学の人であり、母は連歌師里村紹巴(...

雨宝院

 北向山雨宝院と号する高野山真言宗の寺である。もとは、大聖歓喜寺(だいしょうかんきじ)と呼ばれ、千本五辻(せんぼんいつつじ)にあったが、応仁の兵乱(1467)により堂宇は荒廃し、天正年間(1573~92)に当地に再興されたものといわれている。  本堂に安置する本尊聖...

応仁の乱勃発地

 文正2年(1467)正月18日早朝、この付近、すなわち上御霊神社の森の合戦から、応仁の乱ははじまった。17日深夜、畠山政長は自邸を焼いて一族や奈良の成身院光宣らと兵約二千を率いてここに布陣した。翌18日早朝、政長と畠山家の家督を激しく争っている義就(よしなり)が兵...

大峰寺跡

 一条戻橋に近いこの地は、古くは大峰野(おおみねの)と呼ばれ、平安時代には、大峰寺と称する寺院があったところである。  大峰寺は、大峰殿とも呼ばれ、大和国(奈良県)吉野の大峰山の名を採った山伏修験者の道場で、当時は、広い寺域に幾つかの坊舎が建てられ、多くの修験者で賑...

引接寺(千本えんま堂)

光明山歓喜院引接寺とごうする寺院で、本尊として閻魔法王を祀り、一般に「千本ゑんま堂」の名で親しまれている。 開基は小野篁卿(八〇二~八五三)で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻魔之廟に使えたと伝えられ、朱雀大路頭に閻魔法王を安置したことに始まる...

首途八幡宮

 大内裏の北東に位置するため王城鎮護の神とされ、もとの名を「内野八幡宮(うちのはちまんぐう)」という。宇佐八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)・比咩大神(ひめおおかみ)・息長帯姫命(おきながたらしひめ)(神宮皇后)を祀る。 ...