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検索結果 480件が該当しました

岬神社

祭神は「倉(うか)稲(の)魂(みたまの)命(みこと)」と「石(せき)栄(えいの)神(かみ)」の二柱(柱は神様を数える 単位)。農耕・商売・土木・金工など諸業の繁栄、火難除けなどの 災厄除けにも御利益がある。 社伝では、室町時代初期、鴨川の中州の岬(突端)に祠を建てたのが由来とされ...

三栖神社

三栖神社の創建の詳細は不明であるが,旧下三栖村の産土神として古くからこの地で信仰を集めていた。天武天皇,伊邪那岐大神,応神天皇を祀る。 現在の社殿,拝殿は慶長八年(1603年)九月に旧幕臣角倉了以,加藤清正公の家臣横地助之烝,三栖の郷士藤林時次の三氏等氏子が戮力協心して...

明壽院(伏見庚申堂)

当山は真言宗醍醐派の寺院で光圓山(こうえんざん) 明壽院(みょうじゅいん) 庚申堂(こうしんどう)と号し、庚申信仰の寺として地元では伏見庚申堂とも呼ばれている。 六十日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日の夜には、人々は寝ずに一夜を明かす「庚申待ち」を行った。言い伝えによる...

八瀬天満宮社

祭神として菅原道真(すがわらのみちざね)(八四五~九〇三)を祀る。  道真が亡くなった後、師である叡山(えいざん)法性坊阿闍(ほうしょうぼうあじゃ)梨(り)尊(そん)意(い)(八六六~九四〇)の勧請(かんじょう)により建立されたと伝えられ、社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀...

吉田光由の墓(推定)由緒

 和算の書『塵効記』の著者である吉田光由(1598年~1672年)は,豪商角倉了以の一族で,京都嵯峨に生まれた。  江戸時代成立(1603年)後,戦乱はおさまり,商業,工業が急速に発達する中,その社会的なニーズに答えた『塵効記』は,1627年の刊行後,ソロバンを使った計算法を記載し...

吉田屋跡

このあたりは幕末維新の史跡ともいえる料亭 吉田屋があった所である。 江戸時代から明治時代初期にかけて、花街として知られた「三本木」の中にあって、幕末には桂小五郎(後の木戸(きど)孝(たか)允(よし))をはじめとする討幕派の志士たちが密会した場所として知られている。  元治(...

四之保社跡 威徳水

 この地は、北野天満宮七保社のうち四番目に当る四之保社があったところである。  七保社とは、菅原道真が、大宰府で薨(こう)じた後、随徒の人々が帰京して、右京の地に建てたと言われている七ヶ所の御供所である。  保とは、元来、律令京師制の行政単位で、神社の神人居住区...

瑠璃光院

ここ「八瀬」は「矢背」とも記されるように,壬申(じんしん)の乱(六七二)で背に矢傷を負った大海人(おおあまの)皇子(おうじ)(天武(てんむ)天皇)が「八瀬のかま(竈)風呂」で傷を癒したことから,平安貴族や武家の時代を通じて「やすらぎ」の郷として長く愛されてきた。  この地に...

引接寺(千本えんま堂)

光明山歓喜院引接寺とごうする寺院で、本尊として閻魔法王を祀り、一般に「千本ゑんま堂」の名で親しまれている。 開基は小野篁卿(八〇二~八五三)で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻魔之廟に使えたと伝えられ、朱雀大路頭に閻魔法王を安置したことに始まる...

首途八幡宮

 大内裏の北東に位置するため王城鎮護の神とされ、もとの名を「内野八幡宮(うちのはちまんぐう)」という。宇佐八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられ、誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)・比咩大神(ひめおおかみ)・息長帯姫命(おきながたらしひめ)(神宮皇后)を祀る。 ...