駒札

  • カテゴリー一覧
  • 寺院・神社
  • 観光施設
  • 年間行事
  • 食事・宿泊・買い物
  • 文化・歴史・自然
  • 駒札
  • 観光ルート

 

検索結果 455件が該当しました

五辻殿跡

五辻殿は,後(ご)鳥羽(とば)上皇(一一八〇~一二三九)の院御所(退位した天皇の住まい)として,元久(げんきゅう)元年(一二〇四)から使用された邸宅であり,「三(さん)長記(ちょうき)」(藤原(ふじわら)長兼(ながかね)の日記)には「五辻南・大宮西・櫛笥(くしげの)末(すえ)」に位置...

岩上神社

 伝えによれば,二条堀川付近にあった霊石が六角通(岩上通六角辺り)に遷(うつ)され、更に中和門院(ちゅうわもんいん)(後(ご)陽(よう)成(ぜい)天皇の女御の一人で後(ご)水尾(みずのお)天皇の母)の屋敷の池の畔に遷されると怪異な現象が起きたという。吼え出したり、すすり泣いたり、...

因州鳥取藩京都藩邸跡

この一帯は,江戸時代を通して三十二万石の外様(ざま)大名として因幡(いなば)・伯耆(ほうき)二国を支配した因州鳥取藩の京都藩邸があった所である。    京都藩邸は,古くは油小路下立売(あぶらのこうじしもだちうり)にあったが,参勤交代で藩主が立ち寄るのは伏見藩邸であり,京都藩...

大船鉾

神(じん)功(ぐう)皇后(こうごう)の朝鮮出兵伝説にちなみ、鉾全体で船型をかたどり、後祭りの最終を飾る鉾である。屋形中央部に神功皇后、屋形前部に副将住吉(すみよし)明神(みょうじん)、艫(とも)部(ぶ)に操舵手(そうだしゅ)鹿島(かじま)明神(みょうじん)、舳先に龍神(りゅうじん)安曇(あ...

金剛寺

当寺は山号を一切(いっさい)経(きょう)山(ざん)とする浄土宗の寺院である。 奈良時代、天平(てんぴょう)年間に行基(ぎょうき)が東岩倉山(左京区)の一切(いっさい)経(きょう)谷(だに)に創建した阿弥陀堂に起源をもち「上(かみ)の堂」とも称した。   伝えでは、行基は丈六(じょうろく)...

後藤象二郎寓居跡

このあたりは,土佐藩士であり、後に明治新政府でも活躍した後藤象二郎(一八三八~一八九七)が京都に滞在中、常宿とした醤油商「壷屋」があった所である。  後藤象二郎は義叔父である吉田東洋(とうよう)の塾で学び、安政五年(一八五八)には東洋の推挙で幡多(はた)郡の奉行職に就い...

御陵衛士屯所跡

 ここ高台寺月真院は、慶応3年(1867)6月から11月にかけて、熱烈な勤王主義者で、孝明天皇の御陵衛士伊東甲子太郎(いとうかしたろう)ら15名が屯所とした所である。伊東は常陸(ひたち)(茨城県)の出身で学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。新撰組に入り、その参...

勝福寺(親鸞聖人旧蹟)

寺伝によれば,当寺はもと「清水(しみず)庵(あん)」、「一條坊(いちじょうぼう)」と呼ばれ、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人(一一七三~一二六二)が一時期住居とした旧蹟である。親鸞聖人は布教のため関東にて約二十年を過ごしたが、故郷の京都に戻ってきたのは、六十歳を過ぎた頃といわれる...

真宗興正派 本山興正寺

当寺は、阿弥陀如来を本尊とし、親鸞聖人を開祖とする真宗興正派の本山である。 興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興しさかえさす」との意味が込められている。 創建は鎌倉時代にさかのぼり、京都の東、山科の地に建立されたと伝えられている。 ...

神明神社

当地は平安時代末期,近衛(このえ)天皇(在位一一四一~一一五五)がしばしば皇居としたと伝わる藤原忠通(ただみち)(近衛天皇妃の養父)の屋敷跡で,「四条(しじょう)内裏(だいり)」または「四条(しじょう)東洞(ひがしのとう)院内裡(いんだいり)」と言われた。この邸内にあった鎮守の社...