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検索結果 1102件が該当しました

石川五右衛門

安土桃山期の盗賊。子とともに三条河原で釜ゆでの刑にされたという。江戸期以降、浄瑠璃、歌舞伎の世界で伝説化され、特に南禅寺の場面のある歌舞伎「楼門五三桐」は有名。東山区祇園町南側、大雲院には33回忌に建立された墓がある。?~1594(文禄3)

石川丈山

江戸前期の武士・漢詩人。三河(愛知県)生まれ。徳川家に仕えたが、大坂夏の陣後に武士を退き、京都に入り、洛北一乗寺に住む。住居に漢から宋までの詩人36人の画像を掲げたため詩仙堂という。隷書や築庭にもすぐれ、著作に漢詩集『覆醤集』などがある。1583(天正11)~1672(寛文12)

石田梅岩

江戸中期の石門心学の祖。丹波桑田郡(亀岡市)の農家生まれ。京都の商家で働くうち、神道、仏教、儒教を学ぶ。町人らの生き方の指針となる心学に到達。車屋町通御池上ルの自宅で心学を説き、大いに広めた。主著は『都鄙問答』『斉家論』など。墓は東山区、鳥辺野。1685(貞享2)~1744(延享1)

和泉式部

平安中期の女流歌人。父は大江雅致。橘道貞と結婚し、小式部内侍を生むが、為尊、敦道両親王とも愛し合う。中宮彰子に仕えた。藤原保昌と再婚。奔放な生き方と、情熱的な歌で有名。『和泉式部集』『和泉式部日記』がある。中京区新京極通六角下ル、誠心院の石造宝篋印塔は式部の墓と伝え...

出雲路

北区南東部の地名。賀茂川の西岸で鞍馬口通を挟む南北の地域。古代氏族・出雲氏がここに住み、鎮守社・出雲井於神社があった。これらが地名の由来。1918年(大正7)京都市に編入。市バス出雲路橋一帯。

出雲阿国

江戸初期の女性芸能人。歌舞伎の創始者という。出雲大社の巫女(みこ)と名乗ったが、不明。奈良春日社若宮拝殿、京都近衛殿で「ややこ踊」を演じたという。また京都で「かぶき踊」を上演、人気を集めた。江戸城でも興行。「かぶき踊」は洛中洛外図、絵草子に描かれた。生没年不詳

一言寺の梅

一言寺本堂の西方にあるヤマモモ科のヤマモモ。約250年前に寺日記にも記載されているという。

一乗寺

左京区にある地名。平安中期から中世にかけ一乗寺という天台宗の寺があった。これが地名の由来。縄文期の遺跡がここで発見されており、原住京都人が1万年も前からここに住んでいたことがうかがえる。1931年(昭和6)京都市に編入。叡山電車一乗寺一帯。

市原

左京区の北部に細長く開けた小盆地の山村。地名は静市市原町。平安時代は絶好の狩猟地だった。古今著聞集に「鞍馬詣での人が帰りに盗賊に衣類をはぎ取られたうえ負傷した」と記されている辺地だった。昭和30年代(1955~)に入り住宅街へと変貌した。叡山電車市原一帯。

一休宗純

室町期の臨済宗の僧。京都生まれで、後小松天皇の子という。堅田の華叟宗曇に学び、京都、堺などで教化。大徳寺住持となり、応仁の乱後の同寺復興に尽力。乱後は南山城薪村の酬恩庵に住んだ。名利、形式主義を排し、奇抜な言動で知られ、多くの一休ばなしが生まれた。漢詩集『狂雲集』な...