





八瀬天満宮の境内にある神社。元禄年間(1688-1704)幕府の老中であった秋元但馬守喬知を祭る。喬知は当時比叡山と八瀬との境界争いを村民側に立って解決。この報恩のため没後村民が喬知の霊を祭ったのが起こり。毎年10月体育の日(祝日)の前日喬知を偲ぶ赦免地踊がある(10時より約1時...
江戸中期の国学者で伏見稲荷大社の社家に生まれた荷田春満(かだのあずままろ)を祭る。春満は賀茂真淵の師で本居宣長らとともに国学の四大人の一人。近くに旧宅と墓地がある。1883年(明治16)春満に正四位が贈られたのを記念して社殿を造営、創祀された。1936年(昭和11年)に現本殿に...
大宝年間(701~704)役小角が泰澄と共に神廟を造立したのが始まり。天応元年(781)勅命を受けた和気清麻呂が慶俊僧都と力をあわせ、王城鎮護の社として中興した。「火伏せ(防火・鎮火)」の神として信仰が厚く、全国800余社に勧請されている。例年7月31日夜から8月1日未明にかけての「千...
空海(弘法大師)が五智山如来寺を建て野ざらしの遺骸を埋葬。のち法然が念仏道場としてから今の寺名に改めた。本堂は1711年(正徳2)寂道上人の再建。境内8,000体の石仏・石塔群は、化野に葬られた人たちの墓で、毎年8月23・24日に灯明をあげ、幽玄な千灯供養を行う。浄土宗。千灯供養予...
1609年(慶長14)木喰上人弾誓が開創した如法念仏道場。浄土宗。本堂(開山堂)に安置する本尊弾誓上人像は、上人が自ら刻んだといい、自分の髪を植えたので「植髪の像」と呼ばれ、安産守護の信仰を集める。阿弥陀如来坐像は重文。宝物殿に上人の遺品、皇室関係の品を陳列。建立:1609(...
大己貴命の疫病除け御神託による創建で、‘牛頭天王’を祭った粟田口の総社だった。のち天台宗門跡青蓮院の鎮守社に。社殿は平安初期にできたが江戸中期から末期に本殿、拝殿とも再建。スサノオノミコトを祭り、厄除け、旅行安全の神。「粟田祭」は10月体育の日前日・体育の日・15日。体育...
安祥院の地蔵堂に安置する地蔵尊を「日限さん」と称し、日を限って祈願すれば諸願成就するという信仰がある。ちなみに当院はもと乙訓郡にあったが、1725年(享保10)木食正禅養阿上人がこの地に再興されたという。本堂の阿弥陀如来は京都六阿弥陀の1つ。浄土宗。境内にある山桜は平成16年...
最澄が創建。吉水坊と称し、法然が30数年間ここを本拠に称名念仏を宣揚・親鸞も入信したが、専修念仏弾圧で荒廃。1385年(至徳2)国阿が入寺、時宗に改めて興隆、境内に子院六阿弥坊(中の重阿弥で赤穂浪士が円山会議を開いた。)があったが、明治後期に消失、今は本堂、書院、弁天堂と料...
法然の念仏道場。後鳥羽上皇の女御松虫と鈴虫が、法然の弟子住蓮と安楽の説法に感化され、ひそかに出家して上皇の怒りをかい、二僧は断罪に、法然も流された。寺は二僧の菩提を弔うため1681年(延宝9)に創建。住蓮と安楽、松虫と鈴虫の木像や石塔が悲劇を伝える。春と秋に特別公開される...
真言宗智山派。1137年(保延3)鳥羽上皇が鳥羽殿に御堂を建立、阿弥陀三尊像を安置したのに始まる。慶長年間(1596-1615)、豊臣秀頼が復興したが、再び荒廃。現在の庫裡は塔頭前松院であった建物。本尊阿弥陀如来坐像(重文)、石造五輪塔(重文)、絹本着色孔雀明王像(重文)などの文...