吉野太夫

内容概要

江戸初期の名妓。7歳から六条山筋町の林家に入り、14歳で太夫となり吉野と称した。茶の湯、香、和歌など諸芸に通じる美貌の名妓として「六条の七人衆」のトップとされた。上京の豪商灰屋紹益の妻となる。墓は上京区七本松通仁和寺街道上ル、立本寺と北区、常照寺。4月第3日曜日に常照寺で吉野太夫花供養がある。1606(慶長11)~1643(寛永20)

【正式名称】
吉野太夫(よしのだゆう)

年間行事

吉野太夫花供養 4月第2日曜、常照寺。島原の名妓・吉野太夫の墓がここにあることから、1953年(昭和28)から行事を始めた。近くの源光庵から常照寺本堂まで太夫の道中があり、太夫献茶や太夫墓前祭がある。...

関連情報

常照寺 1616年(元和2)日乾上人が開創、鷹峰檀林(学寮)と称された。寛永(1624-44)のころ、六条三筋町の2代目吉野太夫が帰依し、朱塗りの山門を寄進した。これが現存の吉野門で、吉野太夫の墓や...
七本松通 京都市街地西部の南北路。北は寺之内通から南は十条通までだが、JR線で中断。通りに1株から7本に分かれる松があり、通り名になったという。南部は平安京の皇嘉門大路に当たる。第2次大戦末に...
仁和寺街道 市街の北西部にある道。上京区浄福寺通中立売下ル菱丸町から下竪町まで800メートル西行し、御前通を北上して一条通に出て妙心寺の北を通って仁和寺門前に至る。明治以降、下竪町から西へ馬代...