坂上田村麻呂の墓(将軍塚)(駒札)

内容概要

 この墓には、平安前期の武將坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を葬っている。田村麻呂は、奈良時代の武將坂上苅田麻呂の子。延暦20年(801)征夷大將軍となり、遠く陸奥(むつ)に出陣して蝦夷(えぞ)を討ち、胆沢城(いざわじょう)などを築いた。京都にあっても弘仁元年(810)の薬子(くすこ)の乱などに活躍し、官職は右近衛大將にいたった。田村麻呂は赤ら顔のひげづらで怪力の持主、眞の勇者であったといわれ、後世の武士からも尊崇された。「征夷大將軍」は武門最高の栄誉となることは周知のところである。弘仁2年5月23日死去、54才。この地で葬儀が営まれ、嵯峨天皇の勅によって甲冑・剣や弓矢を具した姿で棺におさめられ、平安京にむかって立ったまま葬られた。死してなお平安京の守護神とされたわけで、のち国家に危険ある時は塚の中で大きな音がしたといわれる。これを「將軍塚鳴動」という。(後世東山の將軍塚が有名となるが、本来の將軍塚はこの墓である)田村麻呂はまた佛教の信仰も深く、清水寺を創建したことでも有名である。なおこの墓地は明治28年平安遷都1100年祭にさいし整備されたものである。山科区勧修寺東栗栖野町

【正式名称】
坂上田村麻呂の墓(将軍塚)
【住所】
勧修寺東栗栖野町
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