下御霊神社(駒札)

内容概要

 社伝によれば、大同2年(809)不運のうちに亡くなった伊予(いよ)親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子(ふじわらのよしこ)の霊をなだめるために、承和6年(839)に創建されたといわれている。祭神は、後に、崇道(すどう)天皇(早良(さわら)親王)、吉備真備(きびのまきび)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)、文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)、火雷天神(からいてんじん)を加えて八所御霊としている。  当初、出雲路(上京区)にあり、御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、以後、社地を転々とし、天正18年(1590)豊臣秀吉の都市整備により当地に移転してきた。古来より、京都御所の産土神として崇敬され、享保年間(1716~36)霊元天皇は当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めている。  本殿は、寛政3年(1791)仮皇居の内侍所を移建したもので、表門は、旧建礼門を移したものといわれている。  境内の垂加(すいか)社には、江戸時代の国学者、山崎闇斎(やまざきあんさい)を祀る。中京区寺町丸太町下る下御霊前町

【正式名称】
下御霊神社
【住所】
寺町丸太町下る下御霊前町
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周辺情報

法雲寺  清水山洗心院と号し、浄土宗に属している。  この地は、関白太政大臣藤原兼家が、その邸宅二條第を正暦元年(990)寺に改めて創立した法興院の旧地である。その後、しばしば火災にあ...
本因坊発祥の地 この寺町通の名は、天正十七年(一五八九)頃、豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。
寂光寺もその一つで、別名を久遠寺ともいい、通りをはさんだ西側の町名「...
山紫水明處(国定史跡)  頼山陽(らいさんよう)が晩年住んでいた水西荘の書斎で、入母屋(いりもや)造・わら葺・平屋建・内部は四畳半の書室と二畳の待室と水屋がある。閑素なものであるが、四方を開放して防暑...
革堂  霊ゆう山行願寺(れいゆうざんぎょうがんじ)と号する天台宗の寺院で、西国三十三ケ所観音霊場の第十九番の札所である。

 寛弘元年(1004)行円(ぎょうえん)上人によって、一条小...
大福寺 天台宗の寺で瑠璃光山利生院大福寺という。推古天皇の時代(五九三年~六二八年)に大和国(現在の奈良県)宮田郷に建立されたが,平安時代の初めに勅旨により京都に移され,七堂伽藍を有し...
吉田屋跡 このあたりは幕末維新の史跡ともいえる料亭 吉田屋があった所である。
江戸時代から明治時代初期にかけて、花街として知られた「三本木」の中にあって、幕末には桂小五郎(後の木戸(きど)孝...
護浄院  常施無畏(じょうせむい)寺と号し、天台宗の寺で通称清荒神という。  本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅に...
舎密局跡  「舎密」とはオランダ語シェミーの訳語で化学のこと。東京遷都により沈滞した京都の産業を振興する目的で、京都府が設立した理化学研究所である。明治3年(1870)明石博高の建議によ...
高瀬川一之船入  川の西方の堀割を一之船入という。高瀬川は慶長16年(1611)頃角倉了以が開いた運河でここを通行する高瀬舟の荷物のあげおろしをする船溜所を船入といった。角倉氏は保津峡の開発等...
木戸孝允邸宅跡  木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。天保4年(1833)生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改める。吉田松陰の門下生で、西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、討幕運動...
間部詮勝寓居跡  この駐車場には、昭和42年まで、顕本(けんぽん)法華宗の本山(妙満(みょうまん)寺)があった。(現在は岩倉幡枝に移転)この寺に、安政5年(1858)幕府の老中、越前鯖江(さば...
行願寺 正しくは行願寺。天台宗。西国三十三カ所第19番札所。俗人のころ鹿を射止めた行円が、仏心を起こし、1004年(寛弘1)寺を建立、千手観音像を刻み、安置した。皮の衣を着たので、皮聖と呼ばれ...
護浄院 本尊は火の神、竈神として祀られる三宝荒神尊で、「火の用心」「災難除け」にご利益があるとして人々の信仰を集めています。荒神尊は激しく祟り安井性格を持つ一方、皮膚背の霊験があるとさ...
下御霊神社 御所の鎮守として御霊八所神を祀る。貞観5年(863)神泉苑御霊会を由諸とし、下出雲路に創建、2度移転したが天正18年(1590)豊臣秀吉の寺社整理に伴い現在地へ。本殿は寛政期に仮皇居の内侍...
仙洞御所 後水尾上皇の御所として1630年(寛永7)に完成した。御殿は1854年(嘉永7)に焼失したのを最後に再建されず、現在は醒花亭と又新亭の2つの茶室と雄大な庭園が往時の面影を残している。問合...
夷川通 京都市街地中央部の東西路。東は左京区岡崎徳成町から西は堀川通まで。平安京の冷泉小路に当たり、旧称は冷泉通だが、現在の冷泉通ではない。烏丸通、寺町通間は家具専門店街として有名で、...
河原町通 京都市街地東部の南北幹線路。北は葵橋西詰から南は十条通まで。豊臣秀吉の京都改造後に開通。通り名は鴨川の河原であったことに由来するという。明治以降に南北へ延びたが、現在の三条通と...
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御幸町通 京都市街地中央部の南北路。北は丸太町通から南は五条通まで。豊臣秀吉の都市改造で新設されたといわれ、通り名も秀吉が参内に利用したため名づけられたという。
竹屋町通 京都市街地中央部の東西路。東は土手町通から西は千本通まで。平安京の大炊御門大路に当たる。堀川近辺に竹屋が多く、この名称がついたという。江戸期には東は寺町通、西は堀川通までだが、...
土手町通 京都市街地東部の南北路。北は丸太町通から南は二条通に至り中断して上珠数屋町通から七条通まで。豊臣秀吉の設けた御土居を切り崩して町通としたのでこの通り名になったという。
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丸太町通 京都市街地中央部の東西幹線路。東は鹿ヶ谷通から西は右京区嵯峨釈迦堂大門町まで。平安京の春日小路に当たる。通り沿いの西堀川に材木商が多く、この名称がついたという。幕末以後、鴨川か...
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京都市歴史資料館 京都の歴史に関する調査・研究と歴史資料の収集・保存・活用を目的とする施設。歴史に対する関心に応えるため、歴史講座・古文書講座など実施。京都市の歴史資料約9万5千点、図書約5万5千冊...
島津製作所 創業記念資料館 高瀬川一之船入近く、木屋町二条に位置する島津製作所の資料館。建物は創業者・初代島津源蔵の住居兼店舗であったものを活用しており、国の登録有形文化財・近代産業遺産に指定されている。...
頼山陽書斎山紫水明處  日本外史の著者として知られる頼山陽が文政11年(1828)、自宅の水西荘の庭に建てた草堂風の離れ。小さな床の間のついた四畳半の座敷と二畳の書斎、約一畳の水屋と板の間、そして廊下で構成...
舎密局跡 京都府が1870年(明治3)理化学・工業技術の研究・普及を目的に設けた勧業教育施設。舎密局とはオランダ語の「シエミストリ」(化学)のあて字。ビール・ガラス・石けんなどの製造研究、多く...
女紅場跡 明治初期に設置された女子教育機関。1872年(明治5)まず新英学校女紅場が上京区土手町通丸太町下ルに開設。のち女学校を経て1901年(明治34)に京都府立第一高等女学校(現鴨沂高校)と発展...
横井小楠遭難の跡 肥後藩士横井小楠は、越前藩に招かれ藩政を指導、越前藩主松平慶永が幕府政事総裁職に就くや、そのもとで活躍。明治新政府の参与となったが、1869年(明治2)正月5日、御所参賀の帰途、中京...
高瀬川一之船入 川の西方の堀割を一之船入という。高瀬川は慶長16年(1611)頃角倉了以(すみのくらりょうい)が開いた運河で、ここを運行する高瀬舟の荷物のあげおろしをする船溜所(ふなどまりしょ)を船...
木戸孝允旧邸・達磨堂  木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。天保4年(1833)生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改める。西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、討幕運動に指導的役割を果たし...
キンシ正宗 堀野記念館 ・展示 - 江戸時代の酒蔵と明治の酒屋の町家を公開しています。酒造りの道具や関連資料も展示しています。・体験 - 日本酒と地ビールの試飲。ホームページ http://www.kinshimasamune...
株式会社 黒田装束店 葵祭の斎王代列や時代祭などの装束を共同で手がける老舗。本物志向の装束類を目の前で見て解説が聞けるなど、王朝装束文化に触れられる。予約すれば仕立てから着付けまで一貫して手がける老...
竹又・中川竹材店 縄文時代には生活の中に入り込んでいた竹だが、京都で竹工芸の歴史が始まったのは平安時代。その後、茶道・花道の道具、室内装飾など京都の文化と関わり、発展してきた。竹又・中川竹材店は...
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商店街振興組合 寺町会 大正10年に「寺町会」を発足。当時は路面電車も走り、ハイカラ通り、理想の街として全国から見学者が殺到した。「百年、百五十年はあたりまえ」といった老舗・文化品店が点在している。商店...
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NISHIYAMA RYOKAN ・室数30室(和室27室・洋室1室・和洋室2室)・宿泊料金(1泊2食・税込・サービス料込) バス付個人  最低20,000円~最高38,000円*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理・人数、シーズン...
石長松菊園 ・室数48室(和室48室)・宿泊料金(1泊2食・税別・サービス料込) バス・トイレ付個人 最低12,000円~最高25,000円*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理・人数、シーズン・オフシーズン...
お宿いしちょう ・室数59室(和室59室)・宿泊料金(1泊2食・税別・サービス料込)バス・トイレ付個人 最低9,000円~最高22,000円*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理・人数、シーズン・オフシーズン、平...
特別展「岩倉具視の生きた時代」 明治維新の立役者で公家出身の岩倉が、どのような政治構想を描き、志を同じくする人々との関係を築き、構想を実現する術を模索しながら、激動の時代をどう生き抜いたかを紹介します。