惟喬神社(駒札)

内容概要

平安時代前期の文徳天皇の第一皇子・惟喬親王を祭神とする。幼少から聡明であった惟喬親王は、父の愛情も深く次の皇位を継ぐはずであったが、時の権力者・右大臣藤原良房の娘と文徳天皇の間に第四皇子・惟仁親王(後の清和天皇)が生まれると、良房らの圧力により皇位を奪われ、都を後にした。伝承によると、惟喬親王は貞観九年(八六七)、現在の桟敷ヶ岳辺りに隠棲していたが、翌年雲ケ畑に迎えられ、現在の雲ケ畑出張所付近に造営された高雲宮に移り住み、間もなくそこで出家した。現在の高雲宮はこの宮に由来するものといわれている。この神社は、臣下や村人たちが親王の徳を永遠に奉祀するために創建したという。京都や滋賀の山間部では、惟喬親王に対する信仰が強かったことの現れである。「拾遺都名所図絵」によると、親王が寵愛していた雌鳥がこの地で病死したため、ここに祠を建てたといい、この縁から「雌社」とも呼ばれている。

【正式名称】
惟喬神社
【住所】
雲ケ畑出谷町
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周辺情報

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