足利将軍室町第跡

内容概要

足利3代将軍義満が1378年(永和4)に造営した邸宅。室町幕府があった。室町殿・室町御所・花の御所とも。烏丸通と室町通、今出川通と上立売通に囲まれた東西110メートル、南北220メートルに多くの殿舎、庭園美をきわめ、室町時代の政治、文化の中心地であった。しかし応仁の乱で焼失、いくつかの町名を残す。東北角に石碑。

【正式名称】
足利将軍室町第跡(あしかがしょうぐんむろまちだいあと)
【住所】
上京区室町通今出川上ル東側
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交通案内 地下鉄 今出川
市バス 烏丸今出川

観光ルート情報

応仁の乱を歩く 京都の町の大半を焼き尽くしたという応仁の乱の跡地をめぐる。室町第の景石は同志社大学の敷地内に、西軍の大将として細川氏と闘った、山名宗全の邸宅跡を訪ね、歴史資料館の前には、この地...

関連情報

今出川通  京都市市街地北部の主要な東西の通りの一つであり、東は左京区銀閣寺町の銀閣寺門前付近から、西は嵐電(京福電車)等持院駅の西側にある踏切付近までを称した名称。 付近に鴨川支流の今出...
上立売通 京都市街地北部の東西路。東は寺町通から西は千本通までだが、中断する部分がある。通り名は商品の立ち売りをしていたのが由来という。開通時期ははっきりしないが、中世後期には開かれてい...
烏丸通 京都市街地中央部の南北幹線路。北は今宮通から南は十条通南まで。平安京の烏丸小路に当たる。1877年(明治10)の東海道本線開通で駅正面の大通りとして拡幅。市電走行、廃止を経たが、1981...
室町通 京都市街地中央部の南北路。北は北山通から南は十条通南までだが、東本願寺、京都駅で中断。平安京の室町小路に当たる。通り名の由来は室があったためとか、室町川が流れていたからともいう...

周辺情報

大峰寺跡  一条戻橋に近いこの地は、古くは大峰野(おおみねの)と呼ばれ、平安時代には、大峰寺と称する寺院があったところである。  大峰寺は、大峰殿とも呼ばれ、大和国(奈良県)吉野の大峰山...
三時知恩寺  浄土宗の尼門跡寺院である。

 14世紀半ば、後光厳天皇皇女見子内親王の創立に始まる。内親王は深く仏教に帰依し、宮中に安置された唐より招来の善導大師像をたまわり、当寺の本尊とさ...
白峯神宮  当神宮は、崇徳(すとく)天皇及び淳仁(じゅんにん)天皇を祀る。

 明治天皇は父孝明天皇の遺志を継ぎ、保元の乱により讃岐国(香川県)へ配流になった崇徳天皇の慰霊のため、明治元年...
百々橋の礎石 この石は、応仁の乱(一四六七~一四七七)の戦場として歴史に名をとどめる「百々橋」の疎石の一つである。
百々橋は当時を南北に流れていた小川に架かっていた橋(長さ約七・四メートル、幅...
藤井右門宅跡  この地に江戸中期の尊王論者藤井大和守直明(右門)の居宅があった。

 右門は播磨赤穂藩の遺臣の子で、享保5年(1720)富山県小杉町の生れである。京都に出て竹内式部らと交わり、...
妙顕寺  貝足山と号し、龍華院ともいう日蓮宗の大本山の一つである。

 日像上人が日蓮聖人の遺命を受け、永仁2年春より長年の忍難弘通(ぐつう)の末、元享元年(1321)京都における日蓮宗...
福長神社 本社は福井(さくいの)神(かみ),綱長井(つながいの)神(かみ),稲荷神を祭神として祀る。社名は,福井,綱長井の二神を合祀することによるが,稲荷神も合祀することから「福(ふく)長稲荷(なが...
禁門変長州藩殉職者墓所  この墓地の中に、元治元年(1864)の禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変、甲子(かつし)の変ともいう)ご戦死した長州藩士の墓がある。  攘夷派の先鋒であった長州藩は、この...
因州鳥取藩京都藩邸跡 この一帯は,江戸時代を通して三十二万石の外様(ざま)大名として因幡(いなば)・伯耆(ほうき)二国を支配した因州鳥取藩の京都藩邸があった所である。   
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此付近慶長天主堂跡  この付近に、慶長9年(1604)頃に復興されたヤソ会の天主堂教会があった。京都でのキリスト教布教は、織田信長の保護のもとに本格化し、南蛮寺も建てられたが、天正15年(1587...
精大明神例祭 7月7日、白峯神宮。摂社の精大明神が蹴鞠(けまり)の七夕の神様で、芸能・学問の向上として知られ、当日は午後から蹴鞠が庭上で奉納される。又、奉納後はけまり体験ができます。また、20...
相国寺 臨済宗相国寺派大本山。足利義満が創建を発願、1392年(明徳3)に完成、夢窓国師を開山とした。山内に禅宗寺院を統制管理する僧録司を置き、禅宗行政の中心的存在であったが、失火で炎上、5...
白峯神宮 明治天皇が1868年(明治元)讃岐の白峯陵から崇徳天皇の御霊を遷し創建された旧官幣大社。のち明治6年淳仁天皇も淡路陵から御霊を遷し合祀。御祭神の崇徳天皇は「保元の乱」で、淳仁天皇は「藤...
瑞春院 相国寺塔頭。室町末期「蔭涼軒日録」(おんりょうけんにちろく)=禅寺の僧事一般を将軍へ披露する役を務めた蔭涼軒主の公用日記=を記した亀泉集証が創建。初め雲頂院と号した。天明の大火...
柊大明神祭・節分祭 2月3日、白峯神宮。厄落しには絶大なる京都唯一の神符「柊護符」を特別に授与(有料)。(1/27~2/4の間、郵送可。)赤神札と柊護符を組み合わせた、非常に特殊で希少なお神札(ふだ)です。
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夏越大祓式 6月30日、白峯神宮。半年間の身の罪穢れを清める大祓神事で大祓祝詞が奏上された後、茅の輪くぐり神事が行われ、特製の厄除「茅の輪護符」が特別に授与(有料)されます。
七夕小町をどり 7月7日、白峯神宮。精大明神祭に「蹴鞠(けまり)」奉納神事の後、少女たちが七夕の大笹を廻ってあでやかに踊る夏の風物詩です。元禄の頃に西陣の乙女たちが、技能・芸能の上達を祈って踊り...
上京薪能 9月21日(当日が土日の時は変更)白峯神宮特設舞台(雨天の場合は金剛能楽堂)で,能・狂言・箏の演奏などが上演される。お問合せ 075-441-5040(上京区役所地域力推進室まちづくり推進担当)
観月祭(献燈祭) 旧暦9月望月の日、白峯神宮。仄(ほの)かなる燈火の中に祭壇を設けて、秋の七草を供え大御恵みを感謝するとともに、仰ぎ見る月を愛で、神賑行事の奉納によって、雅のひとときを過ごします。...
伴緒社祭 11月15日、白峯神宮。保元の乱に崇徳天皇方に馳せ参じた、源為義(源氏の棟梁)と、弓で名高い鎮西八郎為朝の、父子二公を武道の神様としてお祀りする。なお、為朝公は琉球王家の祖になっ...
献茶祭 11月23日、白峯神宮。清少納言が「枕草子」168段でほめたたえている飛鳥井の名水を汲み上げて、「(公財)煎茶道 芳円流」家元のご奉仕による、煎茶が奉納されます。お茶席も設けられ、...
お火焚祭 11月23日、白峯神宮。家内安全・除災招福など様々な願いの込められた「祈願木」を浄火により焚き上げます。同日、新嘗祭・献茶祭・日供講大祭も斎行されている。参拝自由
春季例大祭<白峯神宮> 4月14日、白峯神宮。この地は、蹴鞠や和歌の宗家飛鳥井家の邸宅があったところで、境内に鞠神、精大明神を祀っている。祭典の後、鞠装束に身をつつんだ鞠人が蹴鞠を奉納する。奉納後は、けま...
霊光殿天満宮 1018年(寛仁2)菅原道真6世の孫、菅原定義が、九州配流の途中の道真が立ち寄った河内国若江の旧跡地に、創始したのが始まりと伝える。その後、道真左遷の時に、天から一条の光が下ったとい...
光照院門跡 浄土宗単立の尼門跡寺院。1356年(延文元)、後伏見天皇の皇女進子内親王が22歳のおん時に泉涌寺の無人如導によってご落飾、おん名を自本覚公と改められ、同年室町一条北の地に一宇を興して寺...
一条通 京都市街地中央部の東西路。東の烏丸通から西の右京区宇多野まで。西大路通から西へ延び、一条街道と称されたが、現在は西大路通から東と同じように一条通と称する。平安京の北端を東西に走...
上立売通 京都市街地北部の東西路。東は寺町通から西は千本通までだが、中断する部分がある。通り名は商品の立ち売りをしていたのが由来という。開通時期ははっきりしないが、中世後期には開かれてい...
新町通 京都市街地中央部の南北路。北は上賀茂橋から南は十条通南まで。平安京の町尻小路に当たる。明治中ごろまでは北は鞍馬口通から南は七条通までだったが、市街地の拡大で延びた。丸太町通近く...
学校法人同志社 学校法人同志社の今出川キャンパスには、明治期の代表的な洋風建築が数多く残っている。礼拝堂(1886)、有終館(1887)、ハリス理化学館(1890)、クラーク記念館(1893)は国の重要文化財...
武者小路千家官休庵 千宗旦(利休の孫)の次男宗守が寛文年間(1661-75)に造った武者小路千家(茶道三千家の一つ)の茶室。江戸期に3回焼失、明治初めの再建。官休庵ほか半宝庵、環翠園、祖堂、弘道庵など名席...
京都府立府民ホール 1階席の床が94面に分割された電動昇降床で、公演の魅力を最大限に引き出すステージと客席づくり、多彩な演出が可能。音楽、舞踊、演劇など様々な舞台芸術の場、及び芸術鑑賞の場として府民を...
金剛能楽堂 金剛能楽堂は、京都の中でも特に能楽と関わりの深い、かつての室町幕府の「花の御所」の近く(現在の京都御所の西向かい)に平成15年開館しました。百五十余年の星霜を経た室町の旧金剛能楽...
相国寺承天閣美術館 相国寺創建600年記念事業の一環として1984年(昭和59)年4月に建設され、相国寺と鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・他塔頭寺院に伝わる美術品を受託し、国宝5点、重要文化財144点を含む...
樂美術館 樂焼窯元、樂家に隣接してたてられている。初代長次郎以来450余年、樂家歴代の作品を中心に、樂家に伝わった茶道具工芸品、関係古文書など所蔵品は1200点を超える。開設:1978(昭和53)年樂...
一般財団法人 ギルドハウス京菓子 京菓子老舗設立の文化施設。京菓子に関する古文書、絵画、美術工芸品、道具類などと糖芸菓子も展示している。茶室で一服楽しめる。1978(昭和53)年設立ホームページ http://www.kyogashi.c...
ハリス理化学館同志社ギャラリー 同志社は、1875年(明治8)、新島襄が開校した同志社英学校を前身とします。襄は、約10年間の海外での学びを終えたのち、日本でキリスト教主義に基づく教育により人物を育成することを期しま...
狩野元信邸跡 室町幕府の御用絵師・狩野元信と子孫の居住地。元信は1476年(文明8)ここで生まれ1559年(永禄2)84歳で没したが屋敷は松栄・永徳と続き、その子・弟子が京狩野の面業を守る。元信が狩野派3...
薩摩藩邸跡 京屋敷は幕末までの間、転々としたが、1863年(文久3)島津久光が上洛後に上京区の相国寺南の二本松に新屋敷を設け、北区等持院にも邸を構えた。明治になって錦小路の邸跡は誓願寺に。のち京...
富岡鉄斎邸跡 今は京都府議会の公舎。和風2階建、面積1,211平方メートル(367坪)。3階建洋館は生前に建てた書庫。鉄斎は1882年(明治15)から1924年(大正13)89歳で没するまでここで起居し天分と個性を...
藤井右門宅跡 この地に江戸中期の尊王論者藤井大和守直明(右門)の居宅があった。富山県生まれの右門は京都に出て皇学所教授となって公家に尊王論を説いた。明和3年(1766)東京で処刑された(明和事件)...
NTT西日本 西陣ビル 1921年(大正10)京都中央電話局西陣分局として開局。鉄筋コンクリート造三階建。設計は逓信省技師岩元禄で、唯一の現存作品。正面の二階部分まで半楕円形にレリーフを並べ、出入口の中央と...
京菓子資料館(見学) 京菓子老舗設立の文化施設京菓子に関する古文書、絵画、美術工芸品、道具類などと糖芸菓子も展示している。茶室で一服楽しめる。1978(昭和53)年設立・展示-糖芸菓子大小数点、菓子什器・...
樂美術館(体験・見学) 展示-樂家15代450年にわたり作られ伝えられた樂家歴代の樂焼陶芸作品を収蔵。樂茶碗を中心に茶道工芸品・古文書等を収蔵し、年に3~4回テーマを変えて展覧会を開いている。樂歴代作品による...
此付近薩摩藩邸跡  現同志社構内の敷地一帯は、幕末に薩摩(鹿児島)藩々邸があった所である。京都薩摩藩邸がはじめに置かれたのは中京区錦東洞院であるが、そこが手狭なため、文久2年(1862)にここに...
京都ブライトンホテル ・室数182室(洋室182室)・宿泊料金 ※料金は税金まで含んだ総額を表示しております  お1人様当り12000円~(1室2名利用の場合)*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理、人数、シーズン・...
御所西京都平安ホテル ・室数88室(和室19室・洋室69室)・宿泊料金 シングル  8,000円~ツイン   14,000円~*宿泊料金は、客室の設備・広さ・料理、人数、シーズン・オフシーズン、平日・休前日などにより...
金剛定期能 解説 (能)和布刈/宇髙通成 (狂言)萩大名/茂山千作 (能)野宮/金剛永謹
秋期特別展 名碗 ロシアを旅した樂

樂美術館版 エルミタージュ、プーシキン美術館帰国展
ロシアを旅した樂焼の名品と共に、ロシアの子供たちが描いた樂茶碗の絵、15代吉左衞門と子供たちが制作した黒茶碗なども特別出品。初代長次郎作 二彩獅子(重要文化財)をはじめ、樂焼を代表...