頼山陽書斎山紫水明處

内容概要

 日本外史の著者として知られる頼山陽が文政11年(1828)、自宅の水西荘の庭に建てた草堂風の離れ。小さな床の間のついた四畳半の座敷と二畳の書斎、約一畳の水屋と板の間、そして廊下で構成されている。
 山紫水明という言葉は、山陽がこの書斎に使って以後、一般に使われるようになった。

【正式名称】
頼山陽書斎山紫水明處(らいさんようしょさいさんしすいめいしょ)
【住所】
京都市上京区三本木通丸太町上る南町
【電話番号】
075-561-0764
地図表示
交通案内 市バス1,10,37,54,59,特59三条京阪、4,17,特17,205京都駅前、
3,24四条大宮~河原町丸太町下車、京阪電鉄神宮丸太町駅下車
車椅子による見学 不可
拝観・開館時間 10:00~16:00
見学所要時間 約30分
休日・休館 12月中旬~3月中旬迄、8月
料金 一般  700円
(団体20名以上500円)
高校生以下 500円





予約方法 往復ハガキによる予約が必要
往復ハガキ送付先
〒605-0063
京都市東山区新門前松原町289
※2名以上で申込み
 2週間以前必着。
備考 入場は15:30までに。

観光ルート情報

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