第58代光孝天皇の后で、宇多天皇の母君班子女王を祀る。900年(昌泰3)、68歳で崩御された際の陵墓の地と伝わる。神社名は班子女王が多くの皇子皇女を生んだ事に由来する。仁和寺の守護神であるとともに近隣旧6ヶ村の氏神。江戸時代徳川三代将軍家光公により再建された現在の本殿は、一間社春日造、屋根は珍しい木賊(とくさ)葺で、拝殿・鳥居・棟札及び石燈籠弐基とともに国の重要文化財に指定される。本殿の左には丹波国から都の宮中に氷を運ぶ道中に息絶えた役夫の霊を慰める「夫荒社」と年々大きくなっていると言い伝えられる「さざれ石」がある。他に、拝殿正面に掲げられていた鳴滝砥石の額は一見の価値あり。
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尾形乾山宅跡 | 法蔵寺の地は、江戸中期の有名な陶芸家尾形乾山の旧宅地である。乾山は寛文3年(1663)京都の生れ、画家尾形光琳(こうりん)の実弟。兄に絵を、野々村仁清に陶法を学んだ。陶器の絵... | 詳細を見る |
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御室の桜(名勝) | 仁和寺や足もとよりぞ花の雲 春泥 ねぶたさの春は御室の花よりぞ 蕪村 など古来和歌や俳句にうたわれた御室の桜は、里桜を主とし、車返し、有明など白色系のものが約200本... |
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仁和寺 | 平安時代前期に第58代光孝天皇が、創建に着手され、第59代宇多天皇によって仁和4年(888)に完成、大内山仁和寺と名付けられた。天皇は退位ののち出家して、仁和寺を住坊とし、3... | 詳細を見る |
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妙光寺 | 妙光寺花山院師(かさのいんもろ)継(つぐ)が長子忠(ただ)季(とし)の夭折を悼み、別業を寺となし、弘安8年(1285)法(ほっ)燈(とう)国師(こくし)を開山に迎えた。国師は入宋して無門彗(... | 詳細を見る |
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仁和寺 | 真言宗御室派総本山。886年(仁和2)、光孝天皇の勅願により創建、888年(仁和4)に完成。年号を寺名とした。宇多天皇が落髪入寺し寺内に御室(御座所)を設け、御室御所とも呼ばれた。以後... | 詳細を見る |
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秋季大祭<福王子神社> | 10月第3日曜、福王子神社。秋祭り。御神輿の巡行コースは、午前8時半福王子神社を出発→鳴滝→山越→太秦→常盤→御室→仁和寺→福王子神社に16時到着。仁和寺では御神輿が山門を通り、勅使門から宸... | 詳細を見る |
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西寿寺 | 浄土宗の尼寺。山号は泉谷山。本尊は丈六阿弥陀如来坐像、滋賀県甲賀郡甲南町(旧上野村)新宮大明神の本地佛で平安末期の円派の仏師による。1627年(寛永4年)北出嘉兵衛が、袋中上人を請じ... | 詳細を見る |
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土砂加持法要 | 中国、唐代から行われ、日本でも鎌倉時代以後盛んとなった。光明真言を唱え加持した土砂の効力によって滅罪生善を祈願する法要。平成30年は、2月27日非公開文化財の国宝金堂にて執り行う予定... | 詳細を見る |
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法蔵寺 | 法蔵寺は、二条家の山屋敷であったものを江戸時代の絵師尾形光琳の弟、尾形乾山が譲り受け、乾山焼きの窯を築いた所である。その後、近衛家煕(予楽院)と親交のあった百拙元養が享保16年(1... | 詳細を見る |
陽明文庫 | 千年の歴史を有する近衛家伝来の古文書類が保存されている。古くには平安中期から明治、大正、昭和に至るまで、十数万点もの貴重な記録・文書が収められており、藤原道長による『御堂関白記... | 詳細を見る | |
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仁和寺 菅公腰掛石 | 水掛不動尊の堂内にある岩石は、菅公(菅原道真)腰掛石と呼ばれる。その由来は、菅公自身の大宰府左遷が決まった時、この事態を宇多法皇に訴えるため仁和寺を訪ねるが、あいにく法皇はなが... | 詳細を見る |
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仁和寺御殿 | 仁和寺御殿は宸殿・白書院・霊明殿など7棟と、北庭・南庭・茶室からなる。建造物は平成23年(2011)に登録有形文化財として登録。特に御殿群中央に建つ宸殿は京都府技師であった亀岡末吉の代表... | 詳細を見る |
西寿寺<念珠作り> | 普段は非公開の当寺だがブレスレット念珠作りの体験ができる。寺の一室で約30種類の色とりどりの玉から好みのものを選んで念珠を作る。難しい最後の結ぶ部分は手伝ってもらえる。完成後はお... | 詳細を見る |