下御霊神社

内容概要

御所の鎮守として御霊八所神を祀る。貞観5年(863)神泉苑御霊会を由諸とし、下出雲路に創建、2度移転したが天正18年(1590)豊臣秀吉の寺社整理に伴い現在地へ。本殿は寛政期に仮皇居の内侍所(賢所)を、表門は仮御所の建礼門をそれぞれ移築。5月第3か第4日曜日の還幸祭には神幸列(鳳輦列・神輿列)の巡幸がある。8月17・18日の例祭には宮中御神楽・東遊の奉奏がある。
建立:平安初期

ホームページ http://shimogoryo.main.jp/

【正式名称】
下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)
【住所】
中京区寺町通丸太町下ル
【電話番号】
075-231-3530
地図表示
交通案内 京阪電車 丸太町駅下車 徒歩約5分/市バス 河原町丸太町下車 徒歩約2分/地下鉄烏丸線 丸太町駅下車 徒歩約10分
駐車場情報 自家用車乗入可(参拝の方のみ)
但し祭礼の時は不可
車椅子による見学
拝観・開館時間 6:00~20:00
見学所要時間 約15分
休日・休館 無休
料金 無料
備考 社務所9:00~17:00

観光ルート情報

名水を汲みに行く2 水は汲んで帰れるのでペットボトルを用意して出かけよう。まず下御霊神社の「下御霊香水」を飲んだ後は、京都三名水のひとつ梨木神社の「染井」の水をいただく。京都三名水の中で残っている...
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夏にぴったり散策コース 夏ならではの水にちなんだコース。川端通から鴨川へ降りて飛び石を渡る。寺町通を南下して梨木神社へ。ここの水は「染井」の水といい京都三名水の一つ。京都御苑の芝生でひと休みしたら下御...
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関連情報

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周辺情報

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本因坊発祥の地 この寺町通の名は、天正十七年(一五八九)頃、豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。
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山紫水明處(国定史跡)  頼山陽(らいさんよう)が晩年住んでいた水西荘の書斎で、入母屋(いりもや)造・わら葺・平屋建・内部は四畳半の書室と二畳の待室と水屋がある。閑素なものであるが、四方を開放して防暑...
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御幸町通 京都市街地中央部の南北路。北は丸太町通から南は五条通まで。豊臣秀吉の都市改造で新設されたといわれ、通り名も秀吉が参内に利用したため名づけられたという。
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丸太町通 京都市街地中央部の東西幹線路。東は鹿ヶ谷通から西は右京区嵯峨釈迦堂大門町まで。平安京の春日小路に当たる。通り沿いの西堀川に材木商が多く、この名称がついたという。幕末以後、鴨川か...
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頼山陽書斎山紫水明處  日本外史の著者として知られる頼山陽が文政11年(1828)、自宅の水西荘の庭に建てた草堂風の離れ。小さな床の間のついた四畳半の座敷と二畳の書斎、約一畳の水屋と板の間、そして廊下で構成...
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株式会社 黒田装束店 葵祭の斎王代列や時代祭などの装束を共同で手がける老舗。本物志向の装束類を目の前で見て解説が聞けるなど、王朝装束文化に触れられる。予約すれば仕立てから着付けまで一貫して手がける老...
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