伏見奉行所跡

小堀遠州は伏見奉行

小堀遠州が伏見奉行に任ぜられ清水谷(しみずだに)からこの場所に奉行所を移転。茶人としても名高い遠州は公家や有力商人を招いて茶会を開き、また三代将軍家光も上洛の際に立寄りました。明治期には工兵隊の兵舎となり、庭園の一部は御香宮に移されました。

◎西奉行町
 近鉄「桃山御陵前」駅下車南へ徒歩5分(桃陵団地内)

  角倉了以(すみのくらりょうい)の記念碑

高瀬川を開削した角倉了以

伏見は大坂、奈良、京都を結ぶ港湾都市として賑わいました。やがて角倉了以が高瀬川の開削を実現し、三都市が水運で結ばれるようになると伏見は港町として、いっそう発展しました。石碑は了以の偉業を今に伝えます。

◎三栖半町濠川出合橋付近
 京阪「中書島」駅下車
 北へ宇治川派流沿いを西へ徒歩9分

  十石舟(じゅっこくぶね)

往年の港町伏見を舟でゆく

江戸時代には旅人を乗せて大坂と伏見を結んだ三十石船が発着して賑わった伏見港。その三十石船よりひとまわり小さい十石舟が伏見の町を流れる宇治川派流を春と秋に巡ります。豊かな緑と酒蔵のおりなす美しい風景を眺めながら舟の旅を楽しむことができます。

◎南浜町247
京阪「中書島」駅下車北へ徒歩5分 大倉記念館裏
◎チケット販売 (株)伏見夢工房(075-623-1030)
 乗船:有料

  伏見港公園

水と親しむ散策の道

豊臣秀吉が伏見城築城のため宇治川の大規模な治水工事をして開いた伏見港。それが港町、伏見発展の基礎となりました。公園内には復元された三十石船があり、宇治川派流に沿って遊歩道や憩いの場所がつくられています。

◎桃山町金井戸島
 京阪「中書島」駅下車 南西へ徒歩2分

  三栖閘門(みすのこうもん)

伏見のパナマ運河

水害に悩まされた伏見は外国人技師の指導のもと大正から昭和にかけて治水工事を行い伏見新堤を築堤。三栖閘門は濠川(ごうかわ)と宇治川の舟運連絡を存続するために建築されました。今は使われていませんが堂々とした姿は当時の風格を保っています。平成15年に資料館などを備えた公園として再整備されました。

◎三栖町5
 京阪「中書島」駅下車 伏見港公園を西へ徒歩8分
 

  鳥羽伏見の戦い跡石碑

火を噴くアームストロング砲

城南宮の表参道から西の鳥羽街道に小枝橋が架かっています。慶応4年(1868)の正月にこの小枝橋の付近で発砲されたアームストロング砲の音をきっかけに鳥羽伏見の戦いの火ぶたが切っておとされ、戦いは伏見全域に及びました。

◎中島流作町
 市バス「城南宮道」下車北歩1分

  京セラ美術館

心ときめく美にふれる

平成10年に開館。中国清代につくられた乾隆ガラスやパブロ・ピカソ(1881〜1973)の晩年における最重要作品で、1968年に制作された銅版画347シリーズ、洋画、現代日本画、彫刻などを常設展示しています。2階にはファインセラミック館があり、先端産業分野に使われるファインセラミックの技術の変遷が学べます。

◎竹田鳥羽殿町6
 京セラ株式会社 本社ビル1・2F
 市バス「パルスプラザ前」下車すぐ
 075-604-3453(文化事業課)
◎時間/10時〜17時 土・日・祝定休 

  草津の湊(みなと)跡

鮮魚の荷揚げ港

鴨川と桂川の合流点付近にあった草津の湊は江戸時代、京に舟運で運ばれる物資の荷揚げや旅人で賑わいました。港からは陸路目的地に運ばれました。トバの語源はハトバ、港に由来しハの音が消えたともいわれています。

◎下鳥羽下向町
 市バス「横大路」下車西へ徒分3分

  魚市場発祥の石碑

瀬戸内海の鮮魚を陸揚げ

江戸時代、鴨川と桂川の合流地点にあった草津の湊(みなと)では、瀬戸内海でとれた鮮魚などが陸揚げされていました。魚は鳥羽街道を通って京へと運ばれたといわれています。羽束師(はづかし)橋から南へ約200メートルの場所には魚市場の跡をしめす石碑がたっています。

◎横大路草津町
 市バス「府道横大路」下車 西へ徒歩5分

  戊辰(ぼしん)戦争戦没者の碑 街道に眠る幕府軍戦没者

鳥羽伏見の戦いは慶応(けいおう)4年(1868)鳥羽の小枝(こえだ)橋付近で開戦。鳥羽から淀一帯は激戦の地となり、京都競馬場近くの八番楳木(うめのき)には幕府軍戦死者を葬った墓があります。

◎納所下野町
 市バス「納所町」下車東へ徒歩13分

  唐人雁木(とうじんがんぎ)趾 朝鮮通信使が上陸

雁行(がんこう)形の階段を雁木といいます。唐人雁木跡は江戸時代に李氏朝鮮王が幕府に対して送った朝鮮通信使が上陸した船着場の階段の跡だといわれています。通信使は慶長(けいちょう)12年(1607)から文化(ぶんか)8年(1811)まで12回来日しました。

◎納所町納所交差点付近
 市バス「納所町」下車すぐ

  淀城(よどじょう)跡

京都警護のために築城

二代将軍秀忠は京都警護のために元和(げんな)9年(1623)から3年をかけて淀城を築城しました。秀吉が淀殿の産所として築城した淀古城は、この徳川幕府が築城した淀城とは異なり現在の納所に位置していました。

◎淀本町
 京阪「淀」駅下車すぐ

  浜納屋(はまなや)

船運の賑わいを伝える石段

浜納屋と呼ばれている俵物(たわらもの)納屋がある場所はかつては木津川に面していました。納屋内部の中央に設けられた石段を使って浜から直接船に荷物を積み降ろすことができました。今も残る石段は淀川船運で賑わった頃の生活の様子をよく伝えています。

●京阪「淀」駅下車 南西へ徒歩20分