伏見港公園
かつて伏見は「京・伏見」と並び称され独立した街を形成していました。
巨椋池(おぐらいけ)を背景にした風光明媚な伏見桃山・中書島は、 遥か古代の『万葉集』に
「巨椋の入江(おおくらのいりえ)と響むなり
 射目人(いめびと)の伏見が田居に  雁渡るらし」
と詠まれ、伏見の語源ともつながります。
伏見城が豊臣秀吉によって築かれ、秀吉の没後、
天下を掌握した徳川家康は、商業都市としての整備を行い
淀川三十石船をはじめ、大小の船が集中する港町として繁栄しました。
伏見は「伏水(ふしみ)」と記されたほど、豊かな伏流水に恵まれた土地で、
伝統の酒造りもこの頃から本格的になりました。
菜の花と酒蔵
(松本酒蔵)
また、竹田・鳥羽・久我(こが)一帯は
平安遷都後、京都の南玄関口として
朱雀大路から南にまっすぐに延長された「鳥羽の作り道」や
城南宮の西から山崎に至る「久我畷(こがなわて)」がつくられ、
草津の湊(みなと)は貴族が西国へ向かう際、船の発着地でした。
白河上皇による院政時代、鴨川辺りを中心に鳥羽離宮が営まれ、
「宛(さなが)ら都遷(みやこがえ)りの如し」と評されたほど、
堂塔伽藍(どうとうがらん)が建ち並んでいました。
さらに南には河港である納所(のうそ)・の城下が控え、
伏見城廃城後、徳川秀忠が築いた淀城は京都を守護する重要地点でした。
そして、21世紀。 歴史ある伏見の街は、観光都市・京都の南の玄関口として、
また、南部開発の拠点として、新しい活力を創造しつづけます。