千本鳥居

緑に映える朱色のトンネル

稲荷山はご神体山として全体が信仰の対象です。明応(めいおう)8年(1499)に建立された本殿横から山に入る巡拝路には、千本鳥居といわれる鳥居のトンネルが続き、神聖な雰囲気が漂います。近世にはすでに「願いが通る」と「鳥居を通る」の語呂合わせから諸願成就を祈願して、また、願いが叶えられたことに感謝して鳥居を奉納されるようになりました。

◎深草薮之内町68 075-641-7331 
 JR「稲荷」駅下車すぐ 伏見稲荷大社境内

  お山めぐり

初午(はつうま)は験(しるし)の杉を授与

稲荷の神が降臨された日という故事にちなんで、毎年2月初午(はつうま)の日に「初午大祭」が催されます。この日、杉にシデを付け、白紙に包んだ「験(しるし)の杉」の授与があり、古代においてはそれを持ち帰って庭に植え、根がつくと願いが叶うと言われていました。稲荷山には約1万基ものお塚があり、稲荷詣は平安時代から盛んで、「蜻蛉(かげろう)日記」「枕草子(まくらのそうし)」にも記されています。四ツ辻や荒神ヶ峰からは京都市街が一望できます。

◎稲荷山
 JR「稲荷」駅下車すぐ
 稲荷大社拝殿横の千本鳥居をくぐり稲荷山のお塚をめぐる

  薬力社(やくりきしゃ)

万病を治す神さん

薬力社は万病平癒の神として、信仰が厚く、拝所にはカラフルな千羽鶴が吊るされ、火袋にはローソクの火が絶えることなく揺らいでいます。境内には薬力の滝があり、寒中でも修行をする姿が見られます。稲荷山には行場としての滝が10数ヵ所あり、お滝にうたれての行や願掛けは今も続いています。近くのおせき社は風邪と咳の病気に霊験があるといわれています。

◎稲荷山官有地紅葉谷 075-641-3846
 JR「稲荷」駅下車稲荷山を徒歩30分

  JR稲荷駅ランプ小屋

赤いレンガ造りの倉庫

明治13年に稲荷駅・山科駅(小野)を経て大津へ至る東海道線が開通。JR奈良線の稲荷駅に残るランプ小屋は東海道本線・稲荷駅の名残です。赤いレンガ造りの建造物は当時、鉄道省のランプの油倉庫として使われていたもの。往時の時刻表や手提げランプなどを展示しています。JR線の切符または入場券があれば見学することができます。

◎深草稲荷御前町 075-641-0506
 JR「稲荷」駅構内

  阿保親王塚(あぼしんのうづか)

政変に巻込まれた親王

本町20丁目から東へ、山手の住宅地の中に石柵で囲まれた墳墓があります。付近の人たちが「塚」と呼んでいる場所は、平城(へいぜい)天皇の第一皇子、桓武天皇からは孫親王にあたる阿保親王の墓といわれています。弘仁(こうにん)元年(810)薬子(くすこ)の変に連座した罪により、太宰府(だざいふ)へ左遷されました。罪を許されて帰参し、深草に願成就寺(がんじょうじゅじ)を建立しました。芦屋市打出浜に親王塚古墳があり、御陵となっていますが、深草にも親王ゆかりの地が伝えられています。

◎深草正覚町
 京阪「鳥羽街道」駅下車南東へ徒歩7分

  宝塔寺・山門

天井画のある仁王門

朱塗りの山門は宝永(ほうえい)8年(1711)の建立。右側の密迹(みっしゃく)金剛像は仏師康揩(こうかい)の作、左の那羅延(ならえん)金剛は康圃(こうふ)の作で、寛文(かんぶん)10年(1670)3月の完成。山門の中央には日蓮(にちれん)の御紋、井げたに橘を白く染め抜いた赤い大提灯が吊り下げられ、天井には牡丹(ぼたん)図が描かれています。

◎深草宝塔寺山町32 075-641-1859
 京阪「深草」駅下車東へ徒歩7分

  宝塔寺・多宝塔

行基(ぎょうき)葺の小さな塔

本堂の南にある小さな多宝塔は下層が行基葺という珍しいものです。方三間、本瓦葺で永享(えいきょう)11年(1439)の建立。木割が細かく優美で、全体に手の込んだ装飾がほどこされています。応仁の乱の兵火をまぬがれた貴重なもので、京都最古の多宝塔で重要文化財に指定されています。

◎深草宝塔寺山町32 075-641-1859
 京阪「深草」駅下車東へ徒歩7分

  七面山(しちめんやま)

天王山を望む絶景

宝塔寺の本堂横を登って行くと、七面宮に出ます。七面宮は宝塔寺の鎮守社で、法華経(ほけきょう)守護の吉祥天(きっしょうてん)が祀られています。宝塔寺・七面山・深草墓園を結ぶコースは、散策路として最適で、伏見城の雄大な姿や、遠くは男山、天王山を望むことができる山上からの眺めは絶景で画人・俳人の村上蘭田(むらかみらんでん)の句碑があります。また、稲荷山との間の谷は砂川源流地です。

◎深草宝塔寺山町
 京阪「深草」駅下車東へ徒歩20分

  深草北陵(深草十二帝陵)

静かな住宅街の一角

はじめ後深草(ごふかくさ)天皇の遺骨が安置されていましたが、後深草・伏見両天皇の遺骨が祀られるようになってからは、後伏見(ごふしみ)・後光厳(ごこうごん)・後円融(ごえんゆう)・後小松(ごこまつ)・称光(しょうこう)・後土御門(ごつちみかど)・後柏原(ごかしわら)・後奈良(ごなら)・正親町(おおぎまち)・後陽成(ごようぜい)(と歴代の天皇の納骨堂となりました。静かな住宅街の一角にあり、北朝(持明院統)の12柱の天皇を祀ることから深草北陵は、深草12帝陵とも呼ばれています。

◎深草坊町
 市バス「坊町」下車東へ徒歩3分

  深草弥生遺跡 注目をあびた遺跡

昭和20年代の後半から京阪深草駅と藤森駅の中間地点で、深草遺跡の発掘調査が行われ弥生時代中期の壷などのほかに、多量の石器や土器が発見されましたが、なかでも木器は、現在も使われている形と同様の鋤(すき)、鍬(くわ)などの農耕具のほかに、建築用材や日用品も多数発見されました。これらに使われた木材は周辺の豊富な森林から得られたものと考えられています。

◎深草西浦町3-30 深草西浦中公園内
 市バス「深草西浦町」下車北西へ徒歩3分

  仁明天皇陵(にんみょうてんのうりょう) 諸学に通じた天皇

仁明天皇(810〜850)は嵯峨天皇の第3皇子。仁明天皇は学問に造詣(ぞうけい)が深く、中国の諸学に通じたといわれています。天皇に仕えたのが伴善男(とものよしお)で、当時の傑出した人物でしたが、応天門(おうてんもん)の火災事件の際に、放火の罪を着せられ、伊豆に流されました。伴大納言絵巻は応天門事件を取扱ったものです。この頃から藤原北家による政権の独占が行われ、摂関政治がはじまりました。

◎深草東伊達町
 京阪「藤森」駅下車東へ徒歩15分

  聖母女学院

本館は陸軍の師団司令部

赤レンガと緑の屋根が特徴的な英国ビクトリア調の宮殿風の香りが漂う荘厳な建物です。現在は聖母女学院の本館ですが、終戦までは陸軍第十六師団司令部として使われていました。明治41年にイギリス人の手によって竣工され、現在もその内部は当時の歴史をそのまま残しています。かつて陸軍の街として栄えた当時の深草を感じることができる建物です。

◎深草田谷町1 075-641-0507
 市バス「聖母女学院前」下車すぐ

  龍谷大学

平山画伯の巨大陶板壁画

元陸軍第十六師団司令部の兵器庫の跡地に、昭和35年龍谷大学が深草学舎を開設しました。学舎内にはギリシャ神殿を思わせる荘厳(そうごん)な様式の講堂があります。入口正面にある陶板壁画は、画家平山郁夫(ひらやまいくお)が釈尊説法(しゃくそんせっぽう)の図を描いた『祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)』をもとにつくられました。陶板の大きさは縦5メートル、横11メートルで昭和59年の完成当時は日本一の大きさでした。

◎深草塚本町67 075-642-1111
 京阪「深草」駅下車西へ徒歩2分

  京都教育大学

広大な学舎は陸軍の跡地

明治41年(1908)に、第十六師団司令部が伏見深草の地に進出。水運から陸上交通への切り換わりで衰退していた伏見はにわかに活気づきました。現在京都教育大学のある場所には、歩兵第九連隊・歩兵第十九旅団・京都連隊区司令部が置かれていました。前身の師範学校から昭和24年(1948)に新制大学、京都学芸大学となり、同32年北区より現在地に移転。さらに41年(1966)に京都教育大学となりました。

◎深草藤森町1 075-644-8100
 JR「藤森」駅下車西へ徒歩3分